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現代のNFLフリーエージェント制度への道を開いた連邦地裁判事デビッド・ドティが逝去、享年96

2026年06月30日(火) 13:19

【NFL】

ミネアポリスの法廷でNFLの労使問題を数多く扱い、1992年に現代のフリーエージェント制度への道を開く判決を下した米国地方裁判所判事のデビッド・ドティが亡くなった。96歳だった。

ミネソタ地区当局はドティが誕生日の3日前にあたる現地27日(土)に亡くなったと発表。死因は明らかにされていない。

リーグは訃報を受けて声明を発表し、「ドティ判事は公職と法に生涯を捧げ、輝かしいキャリアの中で長年にわたりNFL関連の訴訟を担当しました。ご家族、ご友人、同僚の方に心より哀悼の意を表します」と述べている。

1987年にロナルド・レーガン大統領によって連邦裁判所判事に任命されたドティは、1998年にシニアステータスを取得し、亡くなる数カ月前まで案件を担当し続けた。ドティは海兵隊で6年間勤務した後、1961年にミネソタ大学で法学の学位を取得し、その後26年間にわたり民間弁護士として活動していた。

ドティは判事としてのキャリアの中で、数千件もの民事および刑事事件を担当。その中にはNFLの経営陣とNFLPA(NFL選手会)による重要な紛争も含まれていた。ドティは親しみやすく穏やかな人柄だった一方で、目の前で議論する弁護士たちが軌道修正を必要としていると感じた場合には、厳格な態度を見せることもあった。

米国連邦地方裁判所首席判事のパトリック・シルツは「ドティ判事は海兵隊員として、依頼人だけでなく地域社会にもさまざまな形で貢献した弁護士として、そして約40年にわたり米国地方裁判所判事として、他者に尽くすことに職業人生のすべてを捧げていました。そうした功績を残したにもかかわらず、彼は本当に謙虚な人物でした」とコメント。

「彼は、靴を磨いてもらった人から米国最高裁判所の判事に至るまで、あらゆる人に同じ態度で接していました。優しさと思いやり、そして相手の人生に対する真摯な関心を持って接していたのです。私は特に彼のユーモアセンスが恋しくなるでしょう。彼はいつも笑顔を絶やさない人でした」

1987年、選手によるストライキでレギュラーシーズンが中断された後、NFLPAはフリーエージェント制度に関するリーグの制限的な規則をめぐって提訴し、ドティがその訴訟を担当することになった。

両者に交渉を続けるよう促したドティは、当初はNFL側に味方し、約300人の選手を所属チームから解放してオープンマーケットに出すことを拒否した。しかし、1990年には選手個人がリーグを相手に独占禁止法違反訴訟を起こすことを認めている。

1992年、団体労働協約(CBA)が存在しない状況でオーナー側が導入した制限付きフリーエージェント制度は8人の女性からなる陪審団によって無効とされた。“プランB”と呼ばれるこの制度は、各チームが37人の選手を他チームと契約することから守ることを認めるものだった。

16時間に及ぶ評議を含め、3カ月以上続いた裁判を経て、ドティは無制限フリーエージェントを求めて提訴していた一部の選手たちに有利な判決を下した。その翌年、スターディフェンシブエンド(DE)レジー・ホワイトはリーグを相手取って集団訴訟を起こし、それをきっかけに両者の間で新たな交渉が始まった。

最終的に成立した合意によって、より自由度の高いフリーエージェント制度と、サラリー負担の急増を懸念するオーナーたちを納得させるためのサラリーキャップ制度を含む新たな団体労働協約が作られた。8度のオールプロ選出経歴を持ち、2004年の死後にプロフットボールの殿堂入りを果たしたホワイトは当時、フィラデルフィア・イーグルスを離れてグリーンベイ・パッカーズと契約。加入4年目のシーズンにはパッカーズのスーパーボウル制覇に貢献した。

2011年に新たなCBAによって取って代わられた1993年の取り決めは、33年が経った今もなお、リーグの戦力均衡と高まり続ける人気の根幹となっている。ドティはその後数十年にわたり、金銭問題から選手の処分に至るまで、リーグ独自の仲裁手続きでは解決されなかった労使紛争に対する管轄権を持ち続けた。

ドティは2008年、闘犬運営に関する連邦犯罪で有罪を認めて収監されていた元クオーターバック(QB)マイケル・ヴィックについて、アトランタ・ファルコンズが返還を求めていた1,600万ドル(約25億9,481万円)以上のボーナスを保持することが可能だと判断した。また、2015年には、児童虐待事件を受けてNFLから出場停止処分を科されていた元ランニングバック(RB)エイドリアン・ピーターソンがその処分に不服を申し立てた際に、ピーターソンとNFLPAを支持した。

ドティは常にNFLPAに好意的だったわけではない。2012年には、控訴審で審理が続いていたリーグの不当な協調行為をめぐる訴訟において、ホワイトの訴訟をきっかけに成立した合意を再び扱う申し立てを却下した。2014年にドティがその訴訟から身を引いた後は、ドティの同僚である米国地方裁判所判事のマイケル・デービスが、2010年に選手の報酬に秘密裏に上限が設けられていたという主張を改めて退けた。


記事提供:『The Associated Press(AP通信)』


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