インディアナポリス・コルツ
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チームデータ
フランチャイズ創立 | 1953年1月23日 |
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NFL加盟 | 1953年 |
通算成績 | 543勝481敗7分 勝率.530(1953年-2021年) |
スーパーボウル出場 | 4回/ 第3回(1968年)、第5回(1970年)、第41回(2006年)、第44回(2009年) |
スーパーボウル優勝 | 2回/ 第5回(1970年)、第41回(2006年) |
NFLチャンピオン | 3回/ 1958年、1959年、1968年 |
オーナー | ジム・アーセイ |
GM | クリス・バラード |
ヘッドコーチ | フランク・ライク |
チームカラー | ロイヤルブルー、ホワイト |
スタジアム | ルーカス・オイル・スタジアム (インディアナ州インディアナポリス) 2008年建造/63,000人収容 |
チーム名の由来 | 若駒、若い雄の競走馬という意味のチーム名はボルティモアが三冠レースの開催地である競馬場を持ち、また競走馬の生産地として有名なことに由来する。ただし、ローゼンブルームらが考案したものではない。実は1947年に当時NFLの対抗リーグだったAAFCにやはりボルティモア・コルツというチームが設立されたことに端を発しているのだ。旧コルツは1950年に行われたNFLとAAFCの合併でNFLに所属したものの、そのシーズン限りで消滅していたのである。しかしボルティモア市民はコルツのチーム名に愛着を抱き続けていたことから、ローゼンブルームたちは新チームにもコルツと名付けたのだ。 チーム研究所シーズン1:インディアナポリス・コルツ チーム研究所シーズン2:ルーカス・オイル・スタジアム |
過去5シーズンの成績
2021年 | 9勝8敗(AFC南地区2位) |
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2020年 | 11勝5敗(AFC南地区2位) |
2019年 | 7勝9敗(AFC南地区3位) |
2018年 | 10勝6敗(AFC南地区2位) |
2017年 | 4勝12敗(AFC南地区3位) |
歴史
誕生の地ボルティモアの思いと歴史を紡ぐ“若駒”
ボルティモア出身で衣料メーカーの経営で成功していたキャロル・ローゼンブルームは1952年にNFLに参入しながらシーズン半ばで経営破綻し、1953年1月、リーグの管轄となっていたダラス・テキサンズのフランチャイズをボルティモアに移す権利を獲得する。ここから現在のコルツの歴史は始まった。
コルツは1958年、1959年、1968年と3回にわたってNFLチャンピオンシップを制し、さらにNFLとAFLが合併した後、旧AFLのチームが多いAFCに配属された1970年シーズンには第5回スーパーボウルも制した。このように成功を収めた初代オーナーのローゼンブルームだったが、スタジアム問題などでボルティモア市議会など地元と軋轢を抱えるようになる。そんな中、NFLチームの所有と運営の継続を望みながらも、ボルティモアを離れたいと考えるようになったローゼンブルームは1972年に奇策に出た。7月13日にロサンゼルス・ラムズの所有権をロバート・アーセイが獲得するとその日のうちに、お互いのフランチャイズ権をトレードしたのだ。こうしてローゼンブルームはラムズオーナーとして去り、アーセイがコルツの2代目オーナーに就任したのである。
ただ、1978年以降コルツの成績は低迷し、負け越すシーズンが続くようになった。それに伴い集客も低迷、1980年代に入るとビジネス面での苦境は明らかとなり、さらにスタジアムやトーレニング施設などでも不満が高まっていく。そんなときに現れたのが、フージャードーム(後のRCAドーム)の建設などでNFLチームの誘致に熱心だったインディアナポリスだ。当時はNFLチームの誘致に動く都市が複数あり、インディアナポリスはフェニックスにならび有力都市と見られていた。
念入りな交渉によってアーセイオーナーのインディアナポリス移転の意志が固まったことが周囲に知られるようになると、ボルティモア市議会を中心に法廷闘争でチームをとどまらせようという動きも表面化していった。これに対し、アーセイオーナーは市の動きに先んじて1984年3月29日の夜に前触れなくチームの移転を実施したのである。ボルティモア市が訴訟に及ばなかったこともあって、インディアナポリス・コルツが誕生することとなった。
ロバート・アーセイは1997年に他界し、一時チーム所有権の相続について継母と法廷闘争ととなったものの、この年、息子のジムが3代目オーナーに就任、現在もオーナー兼CEOに就いている。