ALSとの闘病を経てO.J.ブリガンスが56歳で死去、レイブンズでスーパーボウルを制覇
2026年08月18日(火) 12:28
ボルティモア・レイブンズと共にスーパーボウル優勝を経験したO.J.ブリガンスが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)との闘病を経て亡くなった。享年56。
現地17日(月)にレイブンズがブリガンスの他界を明らかにしている。
レイブンズのオーナーであるスティーブ・ビスシオッティは声明の中で「O.J.ブリガンスが亡くなったという悲しい知らせに、私たちは打ちのめされています」と述べた。
「O.Jは幸運にも彼と知り合うことのできたすべての人にとって、愛されるレジェンドであり、メンターであり、素晴らしい人物でした。彼は活気に満ちた人物であり、2000年のスーパーボウルでの最初のタックルを決めたことをはじめ、情熱的なプレーを見せたレイブンズの最初期のヒーローの1人でした」
ブリガンスは2007年にルー・ゲーリッグ病としても知られるALSと診断された。それからほどなくして、ブリガンスと妻のチャンダさんはブリガンス・ブリゲード財団を設立。この財団はALSに苦しむ人々を“支援し、励まし、力づける”ことを使命としている。
車椅子や意思疎通のためのコミュニケーションデバイスを使用しながら、ブリガンスはレイブンズの選手エンゲージメント担当シニアアドバイザーを務めた。この仕事は2004年に始めている。選手たちをキャリアの各段階でサポートするのみならず、ブリガンスは組織内で周囲に活力を与える存在だった。
殿堂入りしたレイブンズのラインバッカーであるレイ・ルイスは現役最後のシーズンだった2012年に「毎日通りがかるたびに、どれだけ彼が好きかだけではなく、彼がいるからこそ、俺が何事にも不平を言わずにいられるってことを伝えている」とコメントし、次のように続けている。
「俺は彼とプレーしたんだ。彼の精神は本当に素晴らしい」
ブリガンスは同じ街、ボルティモアを拠点とするチームでカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)のタイトルとスーパーボウル制覇の両方を経験した、唯一の選手だ。
「CFLとNFLのチャンピオンシップで優勝したことは個人的に素晴らしい思い出だけど、こういうことが私という人間を定義しているわけではない。むしろ、それは神が私に達成することを望んだことをしようと私を動機付けた、数々の人生の出来事の積み重ねの一部だ。そういう出来事が一つでも欠けていれば、私は今の私ではなかったし、今の影響力を持っていなかっただろう。とは言え、他の人々の人生に触れる力という意味で、私の人生における最も大きな業績はブリガンス・ブリゲードだと考えている」とブリガンスは話していた。
ブリガンスはプロフットボール選手として送ったキャリア――ラインバッカーとスペシャルチームでプレーしていた――が、ALSとの戦いに備える助けになったと語っている。
1996年、ブリガンスはフリーエージェントとしてマイアミ・ドルフィンズと契約した。ドルフィンズで過ごした4シーズンの中で、2度チームキャプテンに選ばれている。1999年にはエド・ブロック・カレッジ・アワードを受賞。同じシーズンにNFL選手会の“アンサング・ヒーロー(陰の功労者)賞”にも選ばれた。
ブリガンスのボルティモアでの唯一のシーズンが2000年だった。プレーオフに向けた戦いで、ブリガンスはスペシャルチームのメンバーとしてチームトップのタックル10回をマーク。この年、レイブンズはスーパーボウルでニューヨーク・ジャイアンツに34対7で勝利した。
2001年と2002年はセントルイス・ラムズでプレー。2002年にニューイングランド・ペイトリオッツの一員として戦ったのがラストゲームだった。
レイブンズの執行副社長であるオジー・ニューサムは「あまりの悲しみに、言葉もありません。O.J.は私がこれまで出会ってきた中で、最も誠実で信頼できる1人でした。ボルティモアにやってきた瞬間から、彼のエネルギーが感じられたんです。彼の素晴らしい微笑み、親しみやすさ、周囲に伝わっていく人柄のおかげで、誰もが彼を家族のように感じました」と述べた。
その不屈の精神は、現役生活を終えた後も長くブリガンスの支えとなった。
記事提供:『The Associated Press(AP通信)』
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