NFLチーム研究所シーズン2:Week 13 - アリゾナ・カーディナルス
2018年03月03日(土) 10:15
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1898年にモーガン・アスレチック・クラブのチーム名で創設された現カーディナルスが最初にホームとしたのはシカゴのレイシン通りにあったノーマル・パークという名のフットボール・フィールドだった。1901年のカーディナルス改名、さらには直後にNFLに名称が改められるアメリカン・プロ・フットボール・アソシエーションへ1920年に加入した後も同フィールドが使われ続けた。
1922年にカーディナルスはシカゴ市南西部にあった野球用スタジアムのコミスキー・パークに移ったが、ノーマル・パークに戻る時期もあれば、やはり野球用スタジアムのリグリー・フィールド、ソルジャー・フィールドなどを転々とする。コミスキー・パークに関しては1922年から1925年、1929年から1930年、1939年から1958年の3期に渡って使用された。
しかし、同じシカゴを本拠とするベアーズとの人気競争に敗れた形で1960年にセントルイスに移転し、この時ホームとしたのはMLBセントルイス・カーディナルスが拠点としていた野球用スタジアムのスポーツマンズ・パークだ。ここには1965年までとどまっている。
その後、MLBカーディナルスと共に地元自治体が建設したブッシュ・メモリアル・スタジアムに移転。円形で1階スタンドが可動式となっており、フットボールにも野球にも対応できる当時流行の多目的スタジアムだった。約6万人が収容できたが、次第に老朽化し、チーム経営も悪化したため、1987年シーズンを最後にカーディナルスはアリゾナ州へと本拠を移動している。
移転によって新たなホームとなったのはテンピ市にあるサンデビル・スタジアムだった。同スタジアムはアリゾナ州立大のキャンパス内にあり、所有者も同大学である。7万人以上収容できる屋外型のフットボール用スタジアムで、第30回スーパーボウルの会場ともなった。
ただ、1958年オープンの古いスタジアムであったことからチームは新スタジアムの建設を希望するようになる。当初フェニックス市内に建設を希望したものの、うまくいかず、州政府などとの交渉の末、グレンデール市に建設されたのが2006年にオープンしたカーディナルス・スタジアムだ。開業直後に、地元の通信制大学ユニバーシティ・オブ・フェニックスがネーミングライツを取得、ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムに改称された。あくまでもネーミングライツだけで、同大学のスタジアムではない。
ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムの特徴は約6万3,000人収容の開閉式の屋根を持つ屋内型スタジアムであること。さらにフィールドは自然芝で、養生のためフィールド全体がスタジアム外に移動させる機構を備えている。
カレッジのフィエスタ・ボウルの会場であるほか、第42回と49回のスーパーボウル会場ともなった。
【渡辺 史敏】
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