ブロンコスでスーパーボウル制覇を経験した元RBロニー・ヒルマンががん闘病の末に逝去、享年31
2022年12月23日(金) 11:242015年シーズンにスーパーボウルで優勝を果たしたデンバー・ブロンコスで、リーディングラッシャーとして活躍した元ランニングバック(RB)ロニー・ヒルマンが、現地21日(水)に亡くなったと彼の家族がソーシャルメディア上で明らかにした。31歳だった。
水曜日に出された声明によると、ヒルマンは8月から腎髄質がんと呼ばれる珍しいがんと闘っていたという。
声明には次のように記されていた。「深い悲しみと共に、私たちの最愛の息子であり、兄弟であり、父親であるロニー・K・ヒルマンJr.の訃報をお伝えします。今日、ロニーは家族や親しい友人たちに見守られながら、静かに息を引き取りました」
「私たち家族はすでに寄せられている祈りや優しい言葉に感謝しております。大切なRJを安らかに眠らせる準備を進めるために、気持ちを整理する時間を私たちに与えてくださいますようお願い申し上げます」
ソーシャルメディアの投稿によれば、ヒルマンはホスピスケアを受けていたとのこと。
木曜朝、ブロンコスもヒルマンの訃報に関して次のような声明を発表した。
「デンバー・ブロンコスの元ランニングバックであるロニー・ヒルマンの早すぎる死に、深い悲しみを覚えています。フランチャイズ史上最も成功した4年間で主要な貢献者として活躍したロニーは、2つのスーパーボウルチームの一員となり、第50回スーパーボウルに優勝したシーズンではブロンコスのラッシングをリードしていました。優しい笑顔と静かな強さを併せ持ち、穏やかな口調で話すロニーは、2012年ドラフトでブロンコスに入団し、ダイナミックな選手として尊敬を集めるチームメイトへと成長を遂げました。ロニーは私たちの組織から愛情を込めて思い出されることでしょう。このたびはヒルマン家の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます」
2010年から2011年にかけて、サンディエゴ州立大学でダイナミックな傑出した選手として活躍したヒルマンは、そのわずか2シーズンの間に3,243ヤード、タッチダウン36回という驚くべき成績を残している。2012年NFLドラフト3巡目でブロンコスに指名されたヒルマンは、前述の通り、ブロンコスの一員としてスーパーボウルに2度出場した。
ブロンコス、ミネソタ・バイキングス、サンディエゴ・チャージャーズ(現ロサンゼルス・チャージャーズ)で合わせて5年間プレーしたヒルマンは、通算で1,976ランヤード、タッチダウン12回、524レシーブヤードを記録している。
2016年シーズンにバイキングスとチャージャーズを渡り歩いたヒルマンだが、彼が最も活躍したのはブロンコス時代だった。ヒルマンは2017年夏にダラス・カウボーイズと契約したものの、一度もプレーすることはなく、実質的に2016年シーズンをもってキャリアに幕を閉じている。
ヒルマンは2012年から2015年にかけてブロンコスで48試合に出場して14試合で先発を務め、1,845ランヤードをマーク。また、キャリアで獲得した12回のタッチダウンはすべてブロンコス時代に決めている。
第50回スーパーボウルでカロライナ・パンサーズに勝利して頂点に立った2015年のチャンピオンシップシーズンに、ヒルマンはチーム最多の863ランヤードとチーム最多のタッチダウンラン7回を稼いだ。
A bright soul gone far too soon.
We extend our heartfelt sympathies and condolences to the Hillman family during this difficult time.
Remembering Ronnie Hillman: pic.twitter.com/3NGi5WJvZP
— Denver Broncos (@Broncos) December 22, 2022
「輝かしい魂があまりにも早く逝ってしまった」
「このたびは、ヒルマン家の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます」
「ロニー・ヒルマンを偲んで」
【RA】