NFLチーム研究所:Week 15 – クリーブランド・ブラウンズ
2017年08月05日(土) 12:09NFLチーム研究所トップ > Week 15 – クリーブランド・ブラウンズ
ブラウンズの歴史は新旧ブラウンズの2つに分けられる。旧ブラウンズはクリーブランドのビジネスマン、アーサー・マクブライドや初代ヘッドコーチ(HC)ポール・ブラウンらのグループが当時のNFL対抗リーグ、オールアメリカン・フットボール・カンファレンス(AAFC)のチームとして1944年に設立された。
チームは1946年からAAFCに参戦することになるが、1945年に紆余曲折を経て決定されたのがブラウンズというチーム名である。ブラウンHCにちなんで、ブラウンズという名がまず挙げられたのだが、ブラウン当人がこれを拒否。そのため公募コンテストが行われ、パンサーズの名が有力候補となったものの、これが1919年に設立されながらも1933年に破綻したセミプロのクリーブランド・パンサーズと同じであったため、ブラウンが“失敗したチーム”であることを理由にまたもこれを拒否したのである。クリーブランド・パンサーズという名称の権利を持つ人物が使用料を要求し、マクブライドがこれを拒否したとの話もある。
こうしてブラウンはしぶしぶブラウンズの冠を了承することとなった。ただ、ブラウンはその後もブラウンズの名が自分にちなんだものであることを快く思っていなかったとのことだ。
ブラウンズのチームカラーはチーム名から、ブラウン、オレンジ、ホワイトの3色。チームロゴは1948年から1969年まで妖精エルフのキャラクターが使われたが、1970年以降、現在までヘルメットを描いたデザインが使用され続けている。NFLでは唯一ヘルメットにロゴなどは使用されず、オレンジ地の中央にブラウンとホワイトのストライプが描かれたデザインとなっている。
初代オーナー、マクブライドたちのグループは1953年にデイビッド・ジョーンズらのグループに60万ドルでチームを売却。2代目オーナー、ジョーンズも1961年にニューヨークで広告会社を営んでいたアート・モデールに売却する。3代目オーナーとなったモデールは1963年にブラウンHCを解任し、これがブラウンがベンガルズを設立するきっかけとなった。
モデールはその後、ブラウンズオーナーの座にあり続けたが、1990年代に入って財政トラブルに見舞われ、立て直しのため1995年11月にボルティモアへのチーム移転を発表する。これに対し、クリーブランド市や地元ファンは一斉に反発、移転を阻止するための訴訟が多数起こされる事態となった。翌年2月に和解が成立し、ボルティモア移転が承認される代わりにブラウンズの名称やチームカラーといった資産はクリーブランドに残され、1999年までに新チームとして復活することが決まったのである。こうしてモデールのチームはボルティモアに本拠を移してレイブンズへと変ぼうを遂げる一方、ブラウンズはいったんNFLから消滅することとなった。
その後、NFLは復活に向けて迅速に行動し、新スタジアムを建設しながら、新たなオーナーの選定を進めた。そうして1998年9月に5億3,000万ドルで選ばれたのが旧ブラウンズで少数オーナーだったアル・ラーナーである。ラーナーオーナーの下、1999年シーズンから新ブラウンズは拡張チームとしてNFLに復活を遂げた。
そのアルは2001年に脳腫瘍で死去、そこからは息子のランディが引き継いだ。ランディは2012年までオーナーを務め、ジミー・ハスラムに10億ドルでチームを売却した。現オーナーのハスラムは大手トラックストップチェーンのCEOを務める事業家だ。
【渡辺 史敏】
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