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NFLチーム研究所:Week 28 – シアトル・シーホークス

2017年11月05日(日) 06:26

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1970年のAFLとNFLの合併時に交わされた合意により、NFLは同年、チームを26から28に増やす作業に入った。これを受けて翌1971年にはシアトルで地元経済界の有力者や自治体リーダーたちによるNFLチーム創設組織が結成され、熱心なフランチャイズ権招致活動が展開される。そして1974年、NFLは組織のリーダーであり、アメリカ有数のデパートチェーン『Nordstrom(ノードストローム)』の代表者だったロイド・ノードストロームにシアトルでのフランチャイズ権を認めたのだ。こうしてシーホークスはバッカニアーズと共に1976年からNFLに参加することとなったのである。

シーホークスというチーム名は75年に公募で2万通を超える応募と1,700を超える名前の中から選ばれたものだ。シーホーク、つまり海鷹とはミサゴ、英語名オスプレイの別称である。シーホークスの名称はNFLの対抗リーグだったAAFCで、1946年から1947年の2年間だけ、マイアミ・シーホークスというチームが存在したことがあった。

こうしてチーム最初のオーナーとなったロイド・ノードストロームだが、チームにとって最初の試合を数カ月後に控えた1976年1月、心臓麻痺により死去。その後、チームの所有権はノードストラム家が引き継ぐこととなった。

1976年、最初のシーズンをNFC西地区に所属して戦ったシーホークスは翌年からAFC西地区へと移った。これはいわば両カンファレンスへの顔見せのためにとられた措置である。シーホークスはその後、2002年のテキサンズ参入に伴う地区再編で再びNFC西地区に移っている。AFLとNFLの合併後、2回に渡ってカンファレンスを移ったチームはシーホークスだけだ。

ノードストローム家は1988年、不動産業で成功した実業家ケン・ベーリングとそのパートナーにチームの所有権を売却し、ベーリングがオーナーとなった。

ベーリングは1996年、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイムへのチーム移転を画策するも、とん挫。1997年にマイクロソフト共同創業者であるポール・アレンに2億ドル(現在の3億ドルに相当)で売却した。

アレンは1982年に病気を理由にマイクロソフトを離れ、その後はメディアや金融、航空など幅広くビジネスを展開するバルカン・グループを起ち上げ、広く成功を収めている。1988年にはNBAポートランド・トレイルブレイザースを買収、オーナーを務める他、シーホークスと同じセンチュリーリンク・フィールドを本拠とするプロサッカーMLSシアトル・サウンダーズの共同オーナーでもある。

チームのロゴは創設時からシーホークの頭部を描いたイラストが使用されている。2002年により精悍なデザインに変更され、明るいブルーだった部分がネイビーに、首元がシーホーク・ブルーというブルーに、目がライム・グリーンとなった。さらに2012年には首元がシルバーに変更されている。

【渡辺 史敏】

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