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NFLチーム研究所:Week 29 – カンザスシティ・チーフス

2017年11月11日(土) 11:22

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チーフスは1960年、NFLの対抗リーグAFLのオリジナルメンバーの一つとして、弱冠27歳のラマー・ハントがダラス・テキサンズとして創設した。

テキサンズは1962年にはAFLチャンピオンシップを制したが、NFLがAFL対抗のため新規参入を認めて同年に設立されたカウボーイズに人気を奪われ、ビジネス的に低迷する。そのためラマーは移転先を調査、複数の都市と交渉のうえ、好条件を示唆された1963年シーズンからカンザスシティに移転したのだ。

移転によってチーム名を変更することが決まり、新チーム名を公募するコンテストが開催され、チーフスが選出されている。ただ、チーフスという名称が選ばれた背景には、当時のカンザスシティ市長で、ボーイスカウト連盟の重鎮でもあったH.ロー・バートルのニックネームが“ザ・チーフ“であったことが大きく関係していた。当時のジャック・ステッド・ジェネラルマネジャー(GM)は後に「ラマーに最後、”他に選べる名前がない“と話した」と語っている。

チームのロゴはテキサンズ時代、テキサス州の地図を背景にフットボールとピストルを持ったカウボーイを描いたイラストが使用されていた。カンザスシティに移転後はそれに倣い、中西部の地図を背景にフットボールとトマホークを持って走るネイティブアメリカンのイラストが使用されるようになる一方、ヘルメットのデカルには白い矢印の中に“K”と“C”を組み合わせたマークが使用されるようになった。これはラマーがナプキンに描いたものが元になっており、“K”と“C”の組み合わせは、49ersのロゴにインスパイアされたものである。

ラマーはその後、AFLとNFLの合併交渉でAFL側の主導的立場となり、1966年に合併合意を成功させた。さらにこの年、ラマーはピート・ロゼールNFLコミッショナーへの書簡で、1967年から開始されるAFLとNFLのチャンピオンシップゲームについて「私は冗談で“スーパーボウル”と呼んでいますが、もっとうまい言い方があるかもしれません」と書いている。この発想はラマーの子供達がおもちゃのスーパーボールで遊ぶのを見たことによるものだとされる。この話がマスコミに伝わると“スーパーボウル”の呼び方が使われるようになり、第3回から正式名称が“スーパーボウル”に変更されることとなった。

ラマーはNFLのみならず、広くアメリカスポーツ界の発展に貢献したことでも知られる。1967年にはプロサッカー、北米サッカーリーグ(NASL)と所属チーム、ダラス・トルネードの運営に参加。その後、サッカーではMLSでコロンバス・クルーなど3チームのオーナーを務めた。テニスは男子プロ世界ツアーの共同創設者を務め、さらにプロバスケットボールNBAのシカゴ・ベアーズの創設時に投資し、少数オーナーであり続けた。

こうした数々の功績もあってラマーは1972年にプロフットボールの殿堂入りを果たしただけでなく、AFCチャンピオンシップ優勝トロフィーにはラマー・ハントの名が付けられている。またサッカーでも殿堂入りし、彼の名がつけられた全米規模の大会が毎年開催されている。テニスでも国際テニスの殿堂入りをしているほどだ。

そのラマーは2006年12月に前立腺がんで死去。以降、チーフスの株はハント家が所有しており、ラマーの息子クラークが会長兼CEOを務めている。

【渡辺 史敏】

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