40年前にキャリアを始めた場所でコーチングキャリアを終えたいとイーグルスDCファンジオ
2024年05月10日(金) 12:25ビック・ファンジオの最後の舞台は——望むように進めば——何十年も前から運命づけられていたと言えるだろう。
イーグルスの新しい守備コーディネーター(DC)を務めるファンジオは、現地8日(木)に次のように述べた。
「プロコーチとしてのキャリアをスタートさせたのはちょうど40年前、道を隔ててあちら側にあったベテランズ・スタジアムだった。その時、できればここでキャリアを終えたいと思っていた。そして40年後の今、私はここにいる」
「多くのことが変わったが、変わらないものも多い。私が最初にしていたことの1つで、今でも続けているのが、パッカー(通り)にある“Philadium(フィラディウム)”で食事をすることだ。フィリーズ(野球のフィラデルフィア・フィリーズ)もまだいいプレーをしている。昨日1試合負けたからといって、みなさんは彼らを叩いたりしなかったね? でも、そういう話ではなく、私が戻ってきた理由は、私の子どもたちはここから2時間南に住んでおり、97歳の母は2時間北に住んでいる。だから、いろいろと家族のことを考えた結果だ」
「私は子どもの頃からあらゆるスポーツでフィリーの大ファンだった。40年前に毎日ベテランズ・スタジアムで働いていたときは本当にワクワクした。そこでいつも試合を見ていたからね。そして今、40年後にここに戻ってきて、この地でキャリアを終えることができたら素晴らしいと思っている」
ファンジオDCが挙げた通り、本人にとってフィラデルフィアにはすべてがそろっている。家族? OK。ルーツ? OK。昔からのチームへの愛着とお気に入りの地元レストラン? OKだ。
実際、このような組み合わせがもっと早く実現しなかったことが驚きだ。ファンジオDCは“実質的に”イーグルスへの加入を目指してマイアミ・ドルフィンズを去ったと明かしている。イーグルスはショーン・デサイ元DCと、12月中旬にデサイからプレーコールを引き継いだマット・パトリシアによる悪夢のような1年間の後、新しい守備コーディネーターを必要としていた。
もしコーチ交代のスケジュールが違っていたら、2023年にイーグルスの仕事を引き受けたかもしれないのか、と尋ねられたファンジオ——2022年にドルフィンズの守備コーディネーターになる前にコンサルタントを務めていた——は“それは妥当な推測だ”とだけ答えている。
後から振り返ると明らかだが、イーグルスのヘッドコーチ(HC)ニック・シリアニが1月下旬に、守備コーディネーターの空席をすぐに埋められると確信していた理由がよく分かる。イーグルスはすでに理想の人物と正式な契約を結ぶ準備をしていたのだ。
65歳のファンジオDCは1984年にUSFL(ユナイテッド・ステイツ・フットボール・リーグ)のフィラデルフィア・スターズで守備アシスタントとしてキャリアをスタートさせた場所で、コーチングキャリアを終えたいと望んでいる。計画通りに進めば、ファンジオDCはシリアニのスタッフとして、自分が望む限りその職にとどまることになる。
しかし、そのためには実績が求められる。ファンジオDCはドルフィンズでNFLランキング10位の守備ユニットを構築した一方で、一部からは選手との関係が強固でなかったと指摘されている。この件について木曜日に尋ねられた際、ファンジオDCはそれを軽く受け流し、何よりも結果を最優先としていたことを強調した。
「本当にそんなことはまったく感じなかった。私がいたどこであれ、われわれが取り組むことは常にチームのため、特に誰を止めるかという点ではディフェンスのために、何がベストかを考えることだ。それがどのような結果を招くかは、その時の状況による」
人々はファンジオDCがデサイ元DCとパトリシアの下で何が間違っていたのかを解明し、イーグルスで床に投げ捨てられただけでなく、橋から投げ捨てられたかのようなパズルを解決できることを期待している。ファンジオDCは問題に対する魔法のような答えを持ってはいなかったが、その口調から判断するに、自分が責任者となった今なら解決できると信じているようだ。
「本当にわからない。あんな風に状況が悪化するとき、通常は誰もが何らかの影響を与えているものだ。問題は1つのことや1人のせいだけではない」とファンジオDC。
イーグルスがファンジオDCを雇ったのは、ディフェンス面での卓越性を取り戻すという共通の目標のもと、ファンジオDCが個々の選手をすべて結集させる人物になれると信じているからだ。もし計画がうまくいけば、数十年前にファンジオDCがコーチの腕を磨いたのと同じ大都市で、将来的にファンジオDCの引退記者会見が行われることになるだろう。
【KO】