NFLチーム研究所:Week 26 – ロサンゼルス・ラムズ
2017年10月21日(土) 13:25NFLチーム研究所トップ > Week 26 – ロサンゼルス・ラムズ
ラムズは1936年、クリーブランドで産声を上げた。弁護士でビジネスマンのホーマー・マーシュマンと選手兼コーチのデイモン・ウェツェルが1936年と1937年の2年だけ存在したプロリーグ、AFLの所属チームとして設立したのである。AFLの運営危機により翌1937年、NFLに移った。
“雄羊”のチーム名はウェツェルが好きなフォーダム大学のチームがラムズだったことから選ばれたものだ。
1945年、ラムズはレッドスキンズを相手にNFLチャンピオンシップを制し、初優勝を飾る。しかし、集客に苦しみ、財政難に陥っていたことから、1941年からオーナーに就任していたダン・リービスは優勝から1週間後、ロサンゼルスへの移転を発表。西海岸に本拠を置いたプロフットボールチームはラムズが最初である。
さらに1948年にも画期的な施策を行う。プロ、カレッジを通して初めてヘルメットに模様を導入したのだ。前シーズンまでと同じように革製のヘルメットに、ブルー地にイエロー(ゴールド)の羊の角を描いたデザインだった。ユタ美術大学出身のハーフバック、フレッド・ガークが手書きしたものである。
その後、1972年にオーナーシップで転機が訪れる。7月13日に空調ビジネスで成功していたロバート・アーセイがラムズの所有権を取得、その日のうちにボルティモア・コルツのオーナーだったキャロル・ローゼンブルームとチームの交換を行ったのだ。ボルティモアの自治体と関係がこじれていたローゼンブルームはこうしてボルティモアを去り、新天地ロサンゼルスでラムズのオーナーに就任したのである。
そのローゼンブルームは1979年、水泳中の事故により他界。チームのオーナーシップを相続したのは妻、ジョージア・フロティアだった。
フロンティアオーナーによって活動を続けたラムズだったが、次第に集客が低迷するようになる。特に1990年代になると深刻になり、首脳陣は本拠地の移転を模索するようになり、新スタジアムを税金で建設することを保証していたセントルイスと移転で合意。1995年に移転が実施された。
フロンティアは2008年に乳がんにより死去し、チームの所有権は息子で映画プロデューサーのチップ・ローゼンブルームが相続したものの、1995年のセントルイス移転時に株の30%を取得していた起業家のスタン・クロエンキが2010年に残りの株を取得、現在もオーナーとなっている。
その2010年代に入るとスタジアムの老朽化や集客の不振になり、スタジアムのリノベーションなどでセントルイスの自治体との交渉に臨むも不調に終わる。チームはロサンゼルスへの再移転を模索するようになり、2016年1月には移転が承認され、この年からロサンゼルスに復帰したのである。
チームのロゴは1946年から雄羊の頭部を描いたデザインが使用されたが、1983年から1994年まではヘルメットを描いたものが使用され、さらに1995年から1999年までは“ST. LOUIS Rams”の文字とセントルイスのシンボルである建築物ゲートウエイアーチを組み合わせたものが使用された。2000年からは再び羊の頭部を描いたものとなり、2017年シーズンからはゴールドだった部分がホワイトに変更されている。
【渡辺 史敏】
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