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元ベアーズRBのラシャーン・サラームが死去

2016年12月07日(水) 10:49

ハイズマントロフィーを掲げるラシャーン・サラーム【AP Photo/Adam Nadel】

かつてハイズマン賞を獲得し、シカゴ・ベアーズから1巡目指名を受けたラシャーン・サラームが現地5日(月)の夜、コロラド州ボルダー群にて遺体で発見された。まだ42歳の若さだった。

ボルダー警察はコロラド大学に対し、死因については現在も調査中ではあるが、外傷などは見当たらないと伝えている。

サラームは1994年に2,055ヤード、24タッチダウンをマークしてコロラド大学をけん引した。同大学はNFLスター選手であるコーデル・スチュワート、マイケル・ウェストブルック、クリスチャン・フォーリアも輩出している。その当時、サラームは2,000ヤードに到達したカレッジフットボール史上4番目の選手だった。

大学の公式ウェブサイトを通し、かつてコロラド大学でチームの指揮を執っていたビル・マッカートニーは次のように語っている。

「ラシャーンは本当に教えがいのある選手だった。彼の心は常に幸せに満ちていたし、一緒にいるといつも楽しかった。彼が心から悩んでいる姿は見たことがなく、味方の選手をいつだって信用していた。オフェンシブラインは特にそうだった。ラシャーンについて一番好きだったのは、彼の目がいつも輝いていたこと。彼は陽気で常に前向きだった」

コロラド大学学長を務めるフィリップ・P・ディステファーノは「大学の歴史上でも、これほどつらい日はない。1994年にハイズマン賞をコロラド大学にもたらした偉大なるフットボール選手として、彼の記憶は皆の心の中にこれからもずっと刻まれ続けるだろう。ラシャーンの家族や友人へ、ご冥福をお祈りする」とのコメントを発表。

1995年のドラフトでベアーズから全体21位指名を受けたサラームは、NFLの1年目に1,074ヤード、10タッチダウンを記録してNFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)の最優秀新人賞を受賞。一転して、その後の2年間でサラームが記録したヤード数は合計608ヤードだった。それからというもの、彼のキャリアは失敗の連続となる。

2年前、自らのキャリアを振り返ったサラームはフィールド外での荒れた習慣が25歳を前にしてプレーの質を低下させてしまった原因であったと述懐した。元所属チームのベアーズに対して一切ネガティブな感情はなく、週刊誌『Pro Football(プロ・フットボール)』には自身が熱狂的なベアーズファンであることも漏らしている。

サラームは以前、「毎週日曜日、ベアーズ戦を見るのが楽しみなんだ。19年前、ベアーズというチームが私にすばらしいチャンスを与えてくれた。今でも、私の心は常にベアーズにあるんだ」と述べていた。

サラームは2012年にコロラド大学のアスリート殿堂入りを果たし、2014年には初めてカレッジフットボール殿堂の候補者ともなっている。

ベアーズは『Twitter(ツイッター)』を通じて「われわれの思いと祈りはラシャーン・サラームのご家族、ご友人、そしてかつてのチームメイトたちと共にある」と祈りを捧げた。