元ジャイアンツQBジャレッド・ローレンツェンが死去
2019年07月04日(木) 10:22クオーターバック(QB)ジャレッド・ローレンツェンのNFLでのキャリアは短かったものの、記憶に残るものだった。悲しいことに、それは彼自身の人生を象徴しているかのようだ。
ローレンツェンが現地3日(水)に38歳で亡くなったと家族が声明文で発表している。『KY Sports Radio(KYスポーツ・ラジオ)』のマット・ジョーンズによれば、声明には次のようにつづられていた。
「ジャレッド・ローレンツェンの家族はつらい気持ちとともに、ここ6日間にわたる皆様のサポートと祈りに心からのお礼と感謝の気持ちを申し上げます。ジャレッドが本日、2019年6月3日に天に召されたことをお伝えするのは、深い悲しみです」
「全ての温かな願いや祈りに改めて感謝すると同時に、家族として私たちはプライバシーを尊重していだけるようお願いいたします。今後の予定については数日内にお知らせします。ジャレッドの家族、特に彼の子どもたちのためにお祈りください」
ジョーンズは6月28日、ローレンツェンが感染症と腎臓および心臓の問題によって集中治療室に入っているとの家族の声明を伝えていた。
身長約193cm、体重約130kgを計測していたローレンツェンはドラフト外のフリーエージェントとして2004年にニューヨーク・ジャイアンツと契約を結び、2006年および2007年シーズンにプレーして、後者ではスーパーボウルリングを手にしていた。
ジャイアンツは「ジャレッドは特別な人物であり、愛されるジャイアントだった。彼はわれわれの2007年のチームの重要なメンバーであり、自分の道を切り開いた選手だった。われわれの思いはジャレッドと、われわれのオーガニゼーションとファンたちがそうだったように彼を愛し、彼を深く理解していたご家族、ご友人と共にある」と声明で述べている。
ローレンツェンはジャイアンツで大学時代のライバルだったイーライ・マニングのバックアップを務めていた。マニングはローレンツェンとの思い出をこう語っている。
「ジャレッドは素晴らしいチームメイトで、友人だった。僕たちは大学で互いに競い、2004年に一緒にジャイアンツに来た。僕の思いと祈りは彼の家族のもとにある。彼の競争心と気立ての良さはずっと忘れない。彼はあまりにも早く、僕らを残して逝ってしまった」
ジャイアンツ時代にローレンツェンを指導していたトム・コフリンも声明を出している。
「ジャレッドが亡くなったと知ってショックを受けている。ジャレッドは楽しいことが大好きである一方、真剣な態度で取り組んでいた。彼は優れたアスリートであり、器用さと汎用性を持ち合わせ、しっかりとウエイトコントロールしようと努めていた。ジャレッドはチームメイトともよくやっており、彼のホームタウンに大きく貢献している。彼は子供たちにフットボールを教えていた。私の思いはジャレッドの家族やジャイアンツファミリーとともにある。再びプレーしようと懸命に努力していた若者をなくすのは悲しいことだ」
2008年6月にジャイアンツからリリースされたローレンツェンはインディアナポリス・コルツと契約したものの、最後のカットでウェイバーにかけられていた。
【A】