殿堂入りLBのニック・ブオニコンティが78歳で死去
2019年08月01日(木) 16:26プロフットボールの殿堂入りを果たしたラインバッカー(LB)であるニック・ブオニコンティが78歳で亡くなった。
マイアミ・ドルフィンズがこの悲報を認めている。
8度のプロボウラーにしてオールプロに5回選出されたブオニコンティは、ドルフィンズとともに2度のスーパーボウル王者に輝いた。ドルフィンズが17勝0敗から第7回スーパーボウル制覇を果たした1972年のパーフェクトシーズンでも重要な役割を果たしている。
プロフットボール殿堂の社長兼CEOであるデビッド・ベイカーは次のように語った。
「ニック・ブオニコンティはこのゲームにおける真のヒーローだった。ドラフト13巡目で指名されたところに始まり、ドルフィンズの“ノー・ネーム“と称されたディフェンス陣の一員となった、殿堂へ至る彼の胸躍るような旅は、気概と決意、勇気と思いやりに満ちている。フィールド外でのニックの貢献は、彼がやってきたこと以上にさらに素晴らしいものだった。彼は名誉ある気高い人生を歩み、その伝説はオハイオ州カントンにある彼の胸像に永遠に生き続けるだろう」
「殿堂のファミリー全体がニックの死を悼んでおり、われわれの思いと祈りは彼の妻リンと家族全員の元にある」
1962年AFLドラフトの全体102位で指名されたブオニコンティはボストン・ペイトリオッツでキャリアをスタートし、そこで7年間プレーしている。1969年シーズンを前にドルフィンズへトレードに出されると、他の殿堂入りメンバーであるドン・シュラやボブ・グリーシー、ラリー・ゾンカ、ポール・ウォーフィールドらと共に7年を過ごした。
ブオニコンティはLBとしてNFL史上3位にあたるインターセプト32回という記録をもってキャリアを締めくくっている。
ブオニコンティが殿堂入りしたのは2001年のこと。ペイトリオッツの殿堂、およびドルフィンズのオナー・ロールのメンバーでもある。
また、ブオニコンティは脊髄と脳の治療の研究に4億5,000万ドル(約491億円)以上を投じてきたことでも人々の記憶に残るだろう。1985年に息子のマークさんがフットボールの競技中の事故で四肢麻痺になった後、ブオニコンティは世界でもトップクラスの研究センターである“Miami Project to Cure Paralysis(麻痺治療のためのマイアミプロジェクト)”の共同設立者となった。
NFLコミッショナーのロジャー・グッデルは次のような声明を発行している。
「われわれNFLの全員がニック・ブオニコンティ逝去の報に深い悲しみを覚えている。ニックはフィールド内外でのチャンピオンとしてこれからも記憶されるだろう。彼はNFL史上で最も優勢を誇ったチームの一つのリーダーであり、ペイトリオッツとドルフィンズでプレーする中で、その気概と勇気をもってプロフットボールの殿堂に招かれた」
「ニックはまた、ブロードキャスターであり、実業家でもある傍ら、1985年に共同設立した麻痺治療のためのマイアミプロジェクトを通して最も大きなインパクトを与えた。麻痺治療のためのマイアミプロジェクトはこの国でも最大級の神経学センターであり、脊髄と脳の研究に資金を提供すると同時に、多くの人々とその家族に希望と安心を与えてきた。われわれは彼の妻リンと娘のジーナ、息子のマークさんとニックをはじめとする家族全員にお悔やみを申し上げる」
息子のマーク・ブオニコンティさんは下記のような声明を発表した。
「今日、私の家族と麻痺のためのマイアミプロジェクト全体は、沈痛な思いと深い悲しみとともに、真に偉大な人物、私の父であり、NFLホール・オブ・フェイマーであるニック・ブオニコンティの死を悼みます。父は私のヒーローであり、私が憧れるリーダー、メンターにしてチャンピオンという姿を体現していました。彼は無欲で全てをフットボールや家族、不運な人々のためにささげてきました。彼はそれが、麻痺研究に革命を起こすと私に約束しました。私たちは約束が果たされて治療法が見つかるまで仕事を続けていくことで、彼の献身と終わりない取り組みに最も敬意を表すことができるでしょう」
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