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200勝を遂げた名将マーティ・ショッテンハイマーが逝去、享年77

2021年02月10日(水) 13:57

マーティ・ショッテンハイマー【AP Photo/David Stluka】

2004年のNFLシーズンをヒューストンでスタートさせたとき、サンディエゴ・チャージャーズは8年連続で勝ち越しを達成できていなかった。初年度を4勝12敗で終えた2年目のジェネラルマネジャー(GM)A.J.スミスから、前年度の結果に落胆したフロントオフィスが後任探しに乗り出したクオーターバック(QB)ドリュー・ブリーズまで、トレーニング施設全体には緊張がただよっていた。

その中でも、低迷するチームを立て直すべく2002年に雇用されたヘッドコーチ(HC)マーティ・ショッテンハイマーほど大きなプレッシャーにさらされている者はいなかっただろう。HCとしての最初の14年に負け越しが1シーズンしかなかったショッテンハイマーは、ほぼ確実にその仕事を果たすと期待されていた。しかし、8勝8敗の後に4勝12敗のシーズンが続き、人々はオーナーらが過ちを犯したのではないかと考え始めていた。そして、エクスパンションチームとしてリーグに加わって以来、2シーズンで9勝しかしていないテキサンズに対してオフェンスが苦戦した際にもQB交代を拒否したことで、ショッテンハイマーHCへの疑念はさらに高まっていた。

ブリーズにこだわったことについて、ショッテンハイマーは「台無しにするのであれば、自分のやり方でやる」と言い切った。

たとえ疑念を持たれようと自分のやり方を貫いたその瞬間こそが、現地9日(月)にアルツハイマー病に関連する合併症によって77歳でその生涯を閉じたその人物をもっとも端的に表しているかもしれない。誇り高く、強い人物だった。“ワン・プレー・アット・ア・タイム(1度に1プレー)”等の数々の決まり文句で知られるショッテンハイマーは、エモーショナルな記者会見でもよく知られている。ときにその声は揺らぎ、涙が目の端に光った。

カンザスシティ・チーフスの会長であるクラーク・ハントは火曜日に発行された声明の中で次のように述べた。

「われわれのファミリーとチーフスキングダム全体が、マーティ・ショッテンハイマーが亡くなったことを悼み、祈りと心からの哀悼の意を彼の素晴らしい妻であるパットとショッテンハイマー家の皆さんに捧げる。マーティがNFLの歴史で最も偉大なコーチの一人として思い出されるのはもちろんだが、彼のレガシーは勝率をはるかに超えたところにまで及んでいる。彼は情熱的なリーダーであり、選手やコーチたちに深く気を配り、ゲームに与えた影響は今日でもこのリーグの数々のコーチングスタッフの中に見ることができる」

クリーブランド、カンザスシティ、ワシントン、サンディエゴで過ごした20年のフルシーズンを通じて、ショッテンハイマーが率いるチームはディビジョンタイトルが8回、2位が8回、3位が2回、4位が2回という成績を残した。負け越しのシーズンは2度しかなく、レギュラーシーズンに200勝126敗1分を記録。一方、プレーオフでは5勝13敗にとどまり、AFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)チャンピオンシップ戦を3度落としたことで、200勝以上を遂げながらスーパーボウルには届かなかった唯一のコーチとなっている。

2003年、ショッテンハイマーは『NFL Films(NFLフィルム)』にこう語った。

「1度に1プレー。それは人生のようなものだ。今日を生きる。全力で生きる。なぜなら、昨日のことはもうできないのだから」

ショッテンハイマーは落胆から逃げることがなかった。かつてビルズとペイトリオッツのラインバッカー(LB)として選手生活を送ったショッテンハイマーは、逃げられるほど足が速くも、運動能力が高くもないと、よくジョークを飛ばしていた。ショッテンハイマーは成し遂げられなかったことをあれこれと考えるよりも、苦戦するチームを立て直す能力に誇りを持っていた。

2010年シーズンをもってNFLを離れたショッテンハイマーは、2014年にアルツハイマー病だと診断される。この1月30日からノースカロライナ州シャーロットにある自宅近くのホスピス施設に移っていたショッテンハイマーは、家族が見守る中、月曜日に息を引き取った。

以前、NFLのチャンピオンシップ制覇を果たした経験がないことについてショッテンハイマーはこう話している。

「人がなし得る最悪のことは、逃してしまったものについてくどくどと思い悩むことだ。落胆しているか? ああ、もちろん。だが、私は決してそんなものに自分を奪わせない」

「これまで、素晴らしい旅だった」

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