バイキングスのリング・オブ・オナーHC、ジェリー・バーンズが94歳で死去
2021年05月13日(木) 17:37ヘッドコーチ(HC)としての6シーズンを含め、24シーズンにわたってジェリー・バーンズはミネソタ・バイキングスのコーチングスタッフにとって不可欠な一部だった。彼らが最も輝いた時代の重要な一員として活躍し、サイドラインで時間を過ごした後は、フランチャイズのリング・オブ・オナーとしてたたえられる3人のコーチの1人となった。
現地12日(水)、バーンズが亡くなったことをチームが発表した。94歳だった。
「ジェリー・バーンズはわれわれがミネソタに来た際に会った最も重要な人々の1人であり、彼はこのフランチャイズの根幹だった」とバイキングスのオーナーであるウィルフ家がチームを通じて声明を出した。「コーディネーター、そしてHCとして20年以上にわたって発揮された彼のリーダーシップは、バイキングス史上最も成功を収めたいくつかのチームを形作った。人生を愛し、笑みを浮かべてユーモアのセンスを見せる彼の姿が忘れられない。世界中のバイキングスファンとともに、彼のご家族に祈りの言葉を送りたい」
1968年から1985年まで、バーンズはバイキングスの攻撃コーディネーター(OC)を務めていた。その後HCに就任すると、4連連続で勝ち越しを決め、1986年から1991年までチームを率いて56勝43敗の記録を生んだ。
彼のHC時代のハイライトは、1987年にバイキングスがNFCチャンピオンシップゲームに進んだ時だ。試合は後のスーパーボウルチャンピオン、現在のワシントン・フットボール・チームに敗れている。
OCとしてのバーンズは、2シーズンにわたってグリーンベイ・パッカーズのアシスタントを務めたこともあり、バイキングスでは彼らの4度のスーパーボウル出場で力強い指導役となり、11回のディビジョンタイトルを獲得している。栄誉の殿堂入りHCバド・グラントはアシスタント時代のバーンズを好ましく振り返った。
「ミネソタに行くことが決まった時、私は彼にも声を掛けたんだ。だが、彼にはグリーンベイとの契約があった」とグラントは述べた。「バイキングスでの1年目は、1人足りない状態でコーチをした。彼が翌年に来られるように、“バーンジー”のために席を空けておいたんだ。彼は非常に鋭いフットボールマインドを持っていた。フィールド上の様子をすぐに見抜くことができるんだ。今まで関わってきた全ての人々と同様、彼は私のキャリアにとって重要な人物だったよ。コーチングにおけるサポート、友情、忠誠、家族――彼は全てをバイキングスにもたらした。寂しくなるね」
その功績をたたえられ、バーンズは2005年にバイキングスのリング・オブ・オナーに輝いている。
「私がバイキングスに来たその日から、ジェリー・バーンズは素晴らしい友人であり、一緒に過ごすのがとても楽しみな人物だった」とマイク・ジマーHCは声明を出した。「彼はゲームについてユニークな見解を持っていて、私は彼と話をするたびに何かを学んだ。フットボール界は今日、偉人を1人失った」
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