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レショーン・マッコイがイーグルスの一員として12シーズンのキャリアに幕

2021年10月01日(金) 10:30


タンパベイ・バッカニアーズのレショーン・マッコイ【Tori Richman/Tampa Bay Buccaneers via AP】

“シェディ”が夕日の向こうへと歩み去っていく。

NFLで12シーズンを送ったシェディことレショーン・マッコイがフィラデルフィア・イーグルスと1日の契約を結び、イーグルスのメンバーとして引退することを現地30日(木)にチームが明かした。

ピッツバーグ大学のスターだったマッコイは、2009年ドラフトの2巡目でイーグルスから指名を受けた。イーグルスのヒーローであるブライアン・ウェストブルックの後継者としてチームにやってきたマッコイは2年目にブレイクし、再起したクオーターバック(QB)マイク・ヴィックが率いるイーグルス攻撃陣の一員として1,080ラッシングヤードとタッチダウン7回を記録。1年後にはチームのスターとなり、1,309ヤードとタッチダウン17回をマークする活躍でプロボウルとオールプロに選出されている。

それからの4年間、マッコイはイーグルスの大黒柱として愛され、1,300ラッシングヤードを2度超える働きでイーグルスがプレーオフに進出するのを助けた。その後、イーグルスの当時のヘッドコーチ(HC)チップ・ケリーはパスおよびランゲームにおけるマッコイの役割を他の選手に任せることを考え、マッコイをバッファロー・ビルズへとトレード。マッコイはラインバッカー(LB)キコ・アロンソとイーグルスへのサラリー面の軽減と引き換えで放出され、新たな街で自らの価値を証明することを強いられた。

そして、マッコイはまさにそれを証明して見せた。2016年と2017年はいずれも1,100ヤードを突破し、ビルズのポストシーズン日照りを終わらせるのに一役買う。1999年からポストシーズン進出を逃し続けてきた、当時最長となっていたビルズの不名誉な記録を2017年に終わらせたのだ。その中でマッコイは2013年から始まるプロボウル選出を2017年まで継続している。

30歳に近づいたマッコイは、2010年代の終わり頃に勢いを失いだす。2019年シーズンの開幕直前、マッコイは若いバックフィールドの選手たちにチャンスを与えるべく、チームからリリースされた。カンザスシティ・チーフスに次の居場所を見い出したマッコイは13試合(先発は9試合)に出場し、465ラッシングヤード、タッチダウン4回を記録するも、チーフスが第53回スーパーボウルを制した試合の中ではほぼ何の役割も果たしていない。

数奇な運命。マッコイはそのキャリアの終盤についに頂点にたどり着いたが、それも一度きりのことではなかった。今回も重要な役割を担っていたわけではなく、シーズンを通じてキャリーは10回にとどまったものの、マッコイはタンパベイ・バッカニアーズと共に再びスーパーボウルの舞台に立ち、もう一つのリングを手にしている。2度目のタイトルを獲得した後、マッコイはジョークで自分を幸運のアイテムである“うさぎの足”になぞらえた。

マッコイは2年連続でオフシーズンにイーグルスに戻ろうとしていたものの、アクティブな役割は得られなかった。2010年代に最も実績を残したランニングバック(当時リーグトップの1万0,434ヤード)であるマッコイは、かつてのホームに戻り、6度のプロボウラー、2度のオールプロ、2度のスーパーボウルチャンピオンとしてキャリアを終える。マッコイに一つだけ後悔があるとすれば、それはこれらのリングをイーグルスと共に獲得することができなかったことだろう。

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