殿堂入りした元カウボーイズOTレイフィールド・ライトが逝去、享年76
2022年04月08日(金) 15:52殿堂入りしたオフェンシブタックル(OT)レイフィールド・ライトが現地7日(木)に亡くなったと、プロフットボールの殿堂が発表した。76歳だった。
プロフットボールの殿堂によると、ライトは発作を起こして数日前から入院していたという。
殿堂の会長を務めるジム・ポーターは声明で次のように述べた。「この数週間で、レイフィールドや奥様のディさん、そしてライト家の方々に対する、殿堂入りした多くの選手やNFL関係者の愛情がひしひしと伝わってきました。試合以外での温厚な性格とは裏腹に、フィールド上では圧倒的な存在感を示していました。1970年代にオフェンシブラインで活躍し、自分の使命としてダラスのクオーターバック(QB)を守っていたことは、すべてのファン、特にカウボーイズファンにとって、懐かしく思い出されることでしょう」
「われわれはカントンで彼のレガシーを同じように粘り強く守っていくつもりです。ホール・オブ・フェイム・フラッグは彼が影響を与えた多くの人々への賛辞として、来週の金曜日に行われるレイフィールドの葬儀の間、半旗を掲げます」
ジョージア州グリフィン出身のライトは2006年に殿堂入りを果たし、2004年にはカウボーイズのリング・オブ・オナーに選出された。
1980年に引退するまで、NFLの13シーズンすべてをカウボーイズで過ごしたライトは、通算182試合に出場した後、これらの栄誉に預かっている。プロボウルには6年連続で、オールプロのファーストチームには3年連続で選ばれており、どちらも1971年に初選出された。また、1970年代のNFLオールディケードチームにも指名されている。
ライトは殿堂入りを果たした伝説のヘッドコーチ(HC)トム・ランドリーの下、1970年代に黄金時代を迎えたカウボーイズでオフェンシブラインのバックボーンとして活躍した。フランチャイズが“America’s Team(アメリカのチーム)”と称されるまでに成功を収め続けた10年間で、ライトはスーパーボウルに5回出場し、2回優勝(第6回と第12回)している。
体格と運動能力から“ビッグ・キャット”と呼ばれたライトは、ライトタックル(RT)といえば相手チームのエース級のパスラッシャーと対峙するのが一般的だった時代に、名タックルとして名声を博した。殿堂入りしているカウボーイズの元QBロジャー・ストーバックのメインプロテクターとして活躍し、彼のキャリアを後押しした。また、カウボーイズ史上初となる5名の1,000ヤードラッシャーが誕生したラインも支えていた。
殿堂入りした人事役員であるギル・ブラントに見出されたライトは、1967年にフォートバレー州立大学を卒業後、ドラフト7巡目でカウボーイズから指名された。カレッジ時代は複数のスポーツに取り組んでおり、NBAのシンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)にドラフトされたこともある。当初はタイトエンド(TE)として起用されていたが、1969年シーズンに負傷したRTラルフ・ニーリーの代役としてライトに白羽の矢が立った。ライトタックルとして初めて先発出場した試合は、殿堂入りしたディフェンシブエンド(DE)ディーコン・ジョーンズとの対戦で有名であり、ライトのパフォーマンスは非常に良好で、翌シーズンにはチームのスターターとなっている。
カウボーイズのオーナーであるジェリー・ジョーンズは声明で「レイフィールド・ライトは殿堂入り選手になるのに必要なものの縮図のような存在でした」と述べた。「気概、敏しょう性、情熱、カリスマ性、そしてフットボールや地域社会、家族への愛情は常に輝いていました。元祖“ビッグ・キャット”は13年間の輝かしい選手生活を通じて、ダラス・カウボーイズの未来を形作ることに貢献してくれました。レイフィールドはフィールドの中でも外でもチャンピオンでした。選手生活を終えた後もカウボーイズファミリーの重要な一員であり続けた彼の死は深く惜しまれ続けるでしょう。奥様のディさんやライトのご家族全員に、われわれの愛とサポートを捧げます」
【RA】