殿堂入りを果たしたNFL幹部ボビー・ビーサードが逝去、享年86
2023年02月02日(木) 12:46フットボール界で長く活躍し、2つの組織で4度のスーパーボウル優勝に貢献したボビー・ビーサードが亡くなった。86歳だった。
ワシントン・コマンダースの広報担当者によると、ビーサードが86歳の誕生日を迎えてから1週間も経っていない現地1月30日(月)にテネシー州フランクリンの自宅で亡くなっていたことを彼の家族がチームに伝えたという。死因はすぐには明らかになっていない。
ビーサードが1970年代にマイアミ・ドルフィンズで選手人事部門責任者を務めている間、チームはNFLチャンピオンシップを2回制覇した。また、1980年代にワシントン・レッドスキンズ(現コマンダース)でジェネラルマネジャー(GM)を務めている間にも2度のスーパーボウル優勝を経験している。1966年にカンザスシティ・チーフスがアメリカン・フットボール・リーグで優勝し、第1回スーパーボウルに出場したシーズンにはそこでスカウトを担当していた。さらに、1990年代半ばにサンディエゴ・チャージャーズ(現ロサンゼルス・チャージャーズ)がスーパーボウルに到達した際にはそこでジェネラルマネジャーを務めている。
長いフロントオフィスキャリアの中で、スーパーボウルに出場した7チームの一員となったビーサードは、2018年にプロフットボールの殿堂入りを果たしている。ワシントンは2016年に彼をチームのリング・オブ・オナーに加えた。
プロフットボールの殿堂の会長であるジム・ポーターは声明の中で「ボビーはそのキャリアを通じて勝利するチームを作り上げただけでなく、在籍期間を超えて続いていく勝利の文化を作り上げた。彼は才能を見抜く目と、人と一緒に仕事をする特別な才能を兼ね備えていた。これまでの成果がそれを物語っている」と述べた。
ビーサードはアトランタ・ファルコンズでもスカウトを担当していたが、最もよく知られているのは、ドン・シュラ率いるドルフィンズでスーパーボウル連覇を経験し、ワシントン時代にジョー・ギブスをヘッドコーチ(HC)に採用してダレル・グリーンやアート・モンクなどをドラフト指名したことだろう。
2016年、バージニア州リッチモンドで行われたワシントンのトレーニングキャンプで、ビーサードは「私はマイアミ・ドルフィンズからレッドスキンズに移ったが、1972年の無敗のシーズンを含め、マイアミ・ドルフィンズでシュラと共に過ごした数年間は、それまで以上にフットボールについて多くを学ぶことができた」と語り、こう続けていた。「だから、準備が整っていると感じている状態でこのような状況を迎えている。自分にとって大きすぎる、あるいはまだ準備が整っていないと感じるような状況に臨みたいと思ったことは一度もないからね」
ワシントンがビーサードの築いた礎をもとに3度目のスーパーボウル制覇を果たす前に、ビーサードは1989年にGM職を退いた。その後はテレビ界に進出したが、1990年にはチャージャーズのジェネラルマネジャーとして採用されている。そして、チームをスーパーボウルに導いた1994年シーズンを含め、10年間にわたってそこに在籍し続けた。とはいえ、そのシーズンの前にはオーナーのアレックス・スパノスと対立。一時は辞任寸前となっていた。
しかし、アレックスの息子であるディーンが介入し、日々の運営を担うように。ビーサードは残留し、結果としてはサンフランシスコ・49ersに敗れたものの、チャージャーズはフランチャイズ史上唯一のスーパーボウル出場を果たした。
現在、チャージャーズのオーナー兼会長を務めているディーン・スパノスは声明の中で、ビーサードのことを“NFL史上、フットボールの才能を見極める最も優れた判定者の1人”と評価している。
「彼はフットボール界で最高のGMであると同時に、海でサーフボードに座り、一緒に波を追いかけ、ジョギングコースを並走し、地元のマーケットのレジで雑談をする相手でもあった」とスパノスは振り返った。「それは何でもない普通の人間だった。しかし、ボビーは特別な人間だった。唯一無二の存在だった。彼がいなくなることは、とても寂しい」
30年以上にわたってNFLのフロントオフィスで働いてきたビーサードは、ドラフト1巡目指名を嫌い、あえて無名の大学から選手を獲得してその戦略が実を結ぶことに喜びを感じていた。1988年に『Sports Illustrated(スポーツ・イラストレイテッド)』は彼を“NFLで最も賢い男”と称したが、本人はこの称号を好んでいなかったようだ。
2018年、殿堂入りを果たす前に「あれはちょっと恥ずかしかった」と明かしたビーサードは「誰がそんな言葉を入れたのか知らないが、最初に出てきたとき“私の高校や大学の先生にそれが本当か聞いてみた方がいい。彼らが同意するとは思えない”と言っておいた」と続けている。
コマンダースは哀悼の意を表明した声明文でビーサードを“並外れた気品と誠実さを持った人物”と呼び、彼は「共に働く仲間を深く思いやり、常にチームのことを第一に考えてくれていた」と振り返った。
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