カウボーイズでスーパーボウル制覇を経験した元RBウォルト・ギャリソンが逝去、享年79
2023年10月13日(金) 14:34オクラホマ州立大学カウボーイズの一員としてラッシングでビッグ8をけん引し、ダラス・カウボーイズの一員としてスーパーボウル制覇を経験し、NFLのオフシーズンにはロデオ・カウボーイとして活躍したウォルト・ギャリソンが亡くなった。79歳だった。
カウボーイズは現地12日(木)に公式サイトに掲載した記事の中で、ギャリソンが夜の間に亡くなったと述べている。死因は明らかにされていない。
ランニングバック(RB)としてドラフト5巡目指名を受けてカウボーイズに入団したギャリソンは、そこで9年間にわたってプレーした。そして、1974年にランでフランチャイズ史上3位の記録、レシーブで4位の記録を残して引退している。キャリー平均ヤード(4.32ヤード)で現在もカウボーイズの歴代4位につけているギャリソンは、ランヤード(3,491ヤード)では歴代9位だ。
しかし、彼を究極のカウボーイにしたのは、彼が初恋と呼んでいたロデオのキャリアだった。カウボーイズによると、ギャリソンはバックアップとしてほとんど起用されなかったルーキーシーズン中に、チームのミーティングが終わると外に出て、ステア・レスリング(ロデオ競技の一種)の選手として地元のロデオ大会に出場し、門限である23時前にホテルに戻るという生活を送っていたという。
カウボーイズが掲載した記事の中にはギャリソンの発言が次のように引用されている。
「先発を務めていなかった。パントやキックのリターン、“神風特攻隊”のカバーしかしていなかった。それでいて、ロデオよりひどいケガをする可能性があった。自分はそんなことを考えもしていなかったけど、カウボーイズは考えていたらしい」
当時のヘッドコーチ(HC)トム・ランドリーはすぐにシーズン中の副業を禁止した。しかし、ギャリソンはオフシーズンにそれを続けた。
当時のことをギャリソンは「ランドリーコーチからは、他のスポーツで負傷したら契約が無効になるという条項が契約に含まれていると指摘されたが、私は“分かった”と答えた。ロデオがそんなに危険だとは思っていなかった」と回顧している。
ギャリソンは1970年シーズンに行われた第5回スーパーボウルで65ランヤードを記録したが、結果としてカウボーイズはジョニー・ユナイタスとアール・モラルが率いるボルティモア・コルツに16対13で敗れた。一方、翌年のスーパーボウルで、ギャリソンは74ランヤードを記録。ロジャー・ストーバック率いるカウボーイズは24対3でマイアミ・ドルフィンズを下している。また、784ランヤード、タッチダウンラン7回、390レシーブヤード、タッチダウンレシーブ3回を記録した1972年シーズンに、ギャリソンはプロボウルに選出された。
カウボーイズによれば、ギャリソンは1975年に“ブルドッギング”とも呼ばれるステア・レスリングをしている最中に膝を負傷し、30歳でNFLからの引退を余儀なくされたという。
ギャリソンは牛を地面に倒すのに要する3秒から4秒という時間を、NFLの典型的なプレーの長さと比較して「ロデオとフットボールには多くの共通点がある」と語っていた。「ブルドッギングに必要なエネルギー量と集中力は、フットボールでも同じだ」
ギャリソンはラインバッカー(LB)としてオクラホマ州立大学に加入したが、すぐにランニングバックに転向。1964年にはゲイル・セイヤーズを抑えてビッグ8のラッシング王となり、1965年には10試合で924ヤード、タッチダウン5回を記録した。
オクラホマ・スポーツの殿堂およびオクラホマ州立大学アスレチックス・ホール・オブ・オナーのメンバーに選出されたギャリソンは、ダラス・カウボーイズの25周年記念チーム、テキサス・カウボーイの殿堂、テキサス・スポーツの殿堂のメンバーにも選ばれている。
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