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NFLチーム研究所シーズン2:Week 20 - ニューヨーク・ジェッツ

2018年04月21日(土) 09:52



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ジェッツは1960年、タイタンズ・オブ・ニューヨークの名でオリジナルメンバーとしてAFLに参加した。この時にホームとしたのはニューヨーク・マンハッタン北部にあった1890年オープンの野球用スタジアム、ポロ・グランドだった。

すでに老朽化していたこともあり、チームは1961年にニューヨーク・クイーンズで建設が始まった新スタジアムへの移転を決める。しかしながら、当初は1963年に完成予定だったにもかかわらず、資金調達の不備や法的問題などから建設が遅延。結局、改名してジェッツとなったチームは1964年にMLBニューヨーク・メッツと共に完成したフラッシング・クイーンズ・スタジアムへと移転している。

1966年にシェイ・スタジアムへと改称された同所は約6万人を収容できる屋外型多目的スタジアムだった。円形で1階スタンドが可動式となっており、その部分を移動させることでフットボールにも野球にも対応できるようになっていたのが特徴だ。1975年に昭和天皇がジェッツ対ペイトリオッツ戦を観戦されたのも同スタジアムである。

こうして最新のスタジアムを本拠とすることができたジェッツだったが、ニューヨーク市と結んだスタジアムのレンタル契約においてはメッツに使用優先権が与えられていた。このため、開幕から数ゲームはロードゲームが続くスケジューリングを余儀なくされたのである。

1977年にジェッツは9月の2試合をニュージャージー州イーストラザフォードのジャイアンツ・スタジアムで行うと発表。ニューヨーク市と訴訟にまで発展したが、結局、1978年以降6年間は9月の2試合をジャイアンツ・スタジアムで開催し、残りをシェイ・スタジアムで行うことで合意した。

その後、1983年の契約切れにあたり、チームはスタジアムの再開発や駐車場からの収益をジェッツに入るよう市と交渉したものの決裂、同年いっぱいでジャイアンツ・スタジアムへと移転することなったのである。

移転に際してジェッツはスタジアム名の変更を望んだものの、命名権を持つジャイアンツはこれを拒否。また、スタジアムはフェンスなどがジャイアンツのチームカラーであるブルーが使われ、ジャイアンツのロゴなどがペイントされていた。このため、ジェッツは試合の度にそれらをグリーンのバナーなどで覆い、ホーム感を演出しなければならなかったのである。

こうしたこともあってジェッツは真の“ホーム”を得ることを強く望むようになった。2008年のリース契約満了を前にその動きは活発となり、マンハッタン西部に新スタジアムの建設が計画されたが、頓挫してしまう。これにより、ジャイアンツと共同でジャイアンツ・スタジアムの隣接地に新スタジアムが建設されることとなったのである。

その結果、2010年にNFL初の2チームが保有するスタジアムとして完成したのがニューメドウランズ・スタジアムだ。翌2011年には保険会社メットライフがネーミングライツを取得したことにより、今のメットライフ・スタジアムへと改称されている。

同スタジアムは8万2,500人収容の屋外型スタジアムだ。スタンドの中段、4隅に大型ビデオスクリーンが設置されているだけでなく、コンコースやスイートボックスなどに2,000を超える大小のビデオディスプレーが設置されている。また24時間に以内に両チームのホーム仕様に変更できるようになっている。第48回スーパーボウルの会場にもなった。

【渡辺 史敏】

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