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NFLチーム研究所シーズン2:Week 7 - グリーンベイ・パッカーズ

2018年01月20日(土) 10:10



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1919年に設立された現在のパッカーズが最初に本拠としたのはウィスコンシン州グリーンベイのビール会社ヘイジマイスターが所有する公園、ヘイジマイスター・パークだった。スタンドはなく、立ち見エリアがロープで仕切られただけだったという。

パッカーズはNFLの前身アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーションで1921年と1922年の2シーズンを戦った後、ヘイジマイスター社に隣接するスタジアム、ベルビュー・パークに移る。こちらは5,000人が収容できたが、あらゆる施設が貧弱で街からも遠かったため、やはり2シーズンを過ごしただけで1925年に地元の高校が建設したシティ・スタジアムへと移転している。

当時多かった馬蹄形のシティ・スタジアムは当初6,000人収容だったが、その後2万5,000人規模にまで拡張され、パッカーズは1956年まで使用した。

しかし、人口10万人のグリーンベイと同スタジアムでは収益が苦しく、1933年にチームは大きな決断を下す。ホームゲームのいくつかをグリーンベイの南に位置する大都市ミルウォーキーで開催することにしたのだ。最初に選ばれたのは1万3,000人収容の野球スタジアム、ボーチャート・フィールド。ただ、同スタジアムではこの年に1試合が行われただけだった。

1934年から1951年まではウィスコンシン・ステートフェア・パークを、1952年にマーケット・スタジアムを使用した後、1953年に当時MLBミルウォーキー・ブレーブスも本拠とした多目的スタジアム、ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムをミルウォーキーでのホームとするようになった。

当初3万6,000人で後に5万3,000人規模にまで拡張されたこのスタジアムでは、毎シーズンのホームゲームのうちプレシーズン1試合、レギュラーシーズン3試合の開催が定着する。

その一方でパッカーズは第1の本拠地であるグリーンベイにも近代的なスタジアムを欲するようになり、グリーンベイ市は1956年に3万2,500人収容の新スタジアム建設を決定。翌年、屋外方のフットボール用スタジアムとなるシティ・スタジアムがオープンした。同スタジアムは冬季に“フローズン・ツンドラ”と呼ばれる極寒になることでも有名だ。

1965年6月にチームの創設者カーリー・ランボーが逝去したことを受け、2カ月後の同年8月にスタジアム名がランボー・フィールドへと改められている。

さらに人気の高まりもあって1961年を皮切りにスタンドの拡張が何度も行われ、1995年に6万人規模となったことに合わせてチームは再び大きな決断を下した。この年から全てのホームゲームをランボー・フィールドで行うことにしたのだ。

さらに2001年から2003年、2012年から2013年、2013年から2015年にはスタンドやスイートボックスだけでなく、スタジアムに付随する施設を充実させるリノベーションが行われている。これによって現在の収容人数は8万1,441人に増えた。

【渡辺 史敏】

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