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殿堂入りしたベアーズのレジェンド、スティーブ・マクマイケルがALSとの戦いを経て67歳で永眠

2025年04月24日(木) 15:51


スティーブ・マクマイケル【NFL】

異世界から来たような守備陣の中で輝いていたワイルドマン、スティーブ・マクマイケルは、その人格とプレーの双方で注目されていた。

身長188cm、体重122kgで“モンゴ”の異名を持つマクマイケルは、相手攻撃陣を恐れさせる秋のバーバリアンだった。テキサス出身であり、シカゴで愛されるスポーツ選手となったマクマイケルは、1985年にベアーズがスーパーボウル出場を果たす中で重要な役割を果たしている。

そのシカゴに、悲報がもたらされた。

2021年4月にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受けたことを発表した、プロボウルの殿堂の一員であるマクマイケルが、現地23日(水)に67歳で亡くなった。

マクマイケルの永眠を明らかにしたのは、マクマイケルの元チームメイトであり、殿堂入りした仲間でもあるウォルター・ペイトンの息子、ジャレット・ペイトンだった。ジャレットはマクマイケルがALSと闘う中で、マクマイケル家のスポークスマンを務めてきた。

ペイトンは「ALSと勇敢に闘ったスティーブ・マイケルが、愛する家族に看取られて天に召されたことを、深い悲しみと共にお知らせします。彼の最後の瞬間を共に過ごせたことに感謝します。どうぞスティーブと彼の家族に祈りを捧げてください」とつづっている。

1980年から1994年にわたるNFLでのキャリアを通じて、マクマイケルは213試合に出場し、171試合に先発。タックル847回、サック95回、プロボウル2回選出という実績を残した。サック95回は全ディフェンシブタックルの中で歴代4位であり、ベアーズでのサック92.5回はリチャード・デント(124.5回)に次ぐチーム歴代2位にあたる。

殿堂の会長であるジム・ポーターは声明で次のように述べた。

「スティーブ・マクマイケルは皆に、ナショナル・フットボール・リーグの15シーズンで見せたのと同じ粘り強さでALSと闘うと話していました。彼はまさに、そうしたのです。スティーブと共に、また、スティーブと相対して戦ってきた誰もが、同じ意見を抱いています。スナップの瞬間からホイッスルが鳴るまでの間、選手としてのスティーブ以上に、長く、激しく戦った者はいないと。伝説となったその闘志は、彼を2024年度の殿堂入りへと導きました。そして、この困難な旅の中で彼のチームメイトたちが示した愛は、人としての彼のすべてを物語っています」

ベアーズ会長のジョージ・H・マッカスキーの声明には「ベアーズのアイアンマンがこの恐ろしい病に倒れたことは、残酷な皮肉です。しかし、スティーブはその奮闘を通じて、真の強さとは内なるものであることを私たちに教え、彼の気品、尊厳、人間性を毎日のように示してくれました。彼は今、平安の中にいます。ミスティー、メイシーをはじめとするスティーブのご家族や、彼のチームメイトたち、数えきれないくらいのご友人、そして、この偉大なるベアーのファンの皆さまに、哀悼の意を表します」とある。

フットボールの舞台を離れた後も、マクマイケルは長くスポットライトを浴び続けた。プロレスの世界に飛び込んだマクマイケルは、メインイベントを戦ったローレンス・テイラーのクルーとして、1995年4月に当時はワールド・レスリング・フェデレーション(WWF)の興行だったレッスルマニア11に参加。それからほどなくして、ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(WCW)のカラーコメンテーターも務めている。1996年にはリング内でのパフォーマンスを開始し、こちらもNFLスターだったケビン・グリーンとまずはタッグチームパートナーを組むが、グリーンは唐突にマクマイケルのライバルになった。さらに、マクマイケルはリック・フレアらが所属していたユニットであるフォー・ホースメンに加入。パスラッシングの偉大な選手だったレジー・ホワイトとも対戦している。

また、選手としてのキャリアを終えてからは、ラジオの仕事にも携わった。2007年から2023年にはインドアフットボールチームであるシカゴ・スローターのヘッドコーチを務めている。

マクマイケルは2021年4月に、『Chicago Tribune(シカゴ・トリビューン)』にALSとの闘病を公表。最初に診断が出たのは2021年1月のことだった。2021年9月にALSカレッジ・アワードの最初の受賞者となる。2024年8月にはプロフットボールの殿堂入り。ALSの進行によってオハイオ州カントンでのセレモニーに参加できなかったため、マクマイケルは殿堂入りを記念する胸像とゴールドジャケットをイリノイ州ホーマーグレンの自宅で、元チームメイトや妻ミスティーさん、娘のメイシーさんらに囲まれる中で受け取った。

とどろく声、偉大な個性、髪に火がついたかのごとく激しいプレースタイル。マクマイケルは1985年の個性豊かなベアーズの面々の中にあってさえ、ひときわ強いスポットライトを浴びる存在だった。

モンゴのいないこの世界からは、ワイルドさと愉しさがわずかに失われている。

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