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シーホークスのオーナー、アレンが65歳の若さで永眠

2018年10月16日(火) 10:34


ポール・アレンのポートレート【AP Photo/Elaine Thompson】

シアトル・シーホークスのオーナー、ポール・アレンが65歳の若さでこの世を去った。アレンの家族が現地15日(月)に発行した声明文によると、死因は悪性リンパ腫の1種である非ホジキンリンパ腫(non Hodgkin lymphoma/NHL)が元となる合併症だったようだ。

アレンの妹であるジョディは声明文の中で「私の兄はすべての面ですばらしい人物でした。ポール・アレンのことを技術者、そして、慈善活動家として知っている方々が大勢いるかとは思いますが、私たちにとっての彼はみんなに愛された兄であり、叔父であり、そして、かけがえのない友人でもありました」と述べ、次のように続けている。

「ポールの機知、温かさ、寛容さ、そして、深い心遣いに触れることができたポールの家族や友人たちは恵まれていました。忙しいスケジュールの中であっても、そこには常に家族や友人たちとの時間がありました。私たちにとって、そして、他の方々にとっても深く悲しい喪失の時である今、私たちは彼が毎日示してくれた気遣いや心遣いに深く感謝しています」

アレンは2週間前に闘病生活を開始したことを明らかにしたばかりだった。アレンは2009年に初めて非ホジキンリンパ腫を発症し、1度は克服していた。

NBAのポートランド・トレイルブレイザーズのオーナーでもあるアレンは1996年からシーホークスのオーナーに就任している。アレンオーナーの下、シーホークスは2013年シーズンの第48回スーパーボウルを制覇しており、スーパーボウルの舞台には3度到達している。

アレンの訃報を知ったNFLコミッショナーのロジャー・グッデルは声明文を発行し、次のように語っている。

「ポール・アレンは太平洋側北西部においてNFLを維持する上での推進力でした。彼のビジョンがセンチュリーリンク・フィールドの建設へとつながり、3度スーパーボウルに進出して第48回スーパーボウルを制するチームの礎となっています」

「シーホークスのすべてのホームゲーム開始時に“12th Man(12番目の選手)”の旗を掲げたのはシアトルのコミュニティにいるすばらしいファンたちへのポールの感謝の証です。ポールが内に秘めたゲームへの情熱と冷静沈着な判断力が相まって、フィールドの内外を問わない理想的な組織づくりを促しました。ポールはNFLのメディカルアドバイザーと共に、ゲームをより安全に、そして、選手を不必要なリスクから守るために疲れを知ることなく働き続けました。団体交渉協約の話題から試合でのテクノロジー導入の件に至るトピックにおいて、私は個人的に彼のアドバイスを高く評価していました。われわれのリーグはポール・アレンがいたからこそ改善されているのです。NFLはポールのご家族とシーホークスの組織に対して深くお悔やみを申し上げます」

1975年、アレンは後に大企業へと成長するマイクロソフト社をビル・ゲイツと共同で創業した。

アレンが関わった多数の企業や機関を代表し、アレンが元CEOとして務めていた投資会社のバルカン社で現在CEOを務めるビル・ヒルフが以下のような声明文を発行している。

「光栄にもポールと一緒に働くことができたすべての人々が今日、言葉にしようのない深い悲しみを感じています。彼は傑出した知性や世界中のさまざまな問題を解決しようという情熱、さらには、想像的な思考や新たなアプローチが深く永続的なインパクトをもたらすとの信念を持ち合わせていました。世界をより良くしようという執念や寛大さ、そして、自身が自由に使える時間や資源を駆使してできる限りのことを成し遂げようとする精神には何百万人の人々が心を動かされてきたことでしょう」

「ポールの人生は多様であり、情熱に満ちていました。それは個人の生活やコミュニティ全体を良い方向に変化させるためのテクノロジーや音楽、芸術、生物科学、人工知能、資源の保護や共有経験――スタジアム内であれ、家の近所であっても――の力に対するポールによる幅広い興味にも表れているはずです」

「ポールはシアトルや太平洋側の北西部の地域を愛していました。ポールの努力がもたらしたインパクトはこの地で絶えず感じることができますが、彼のビジョンや寛大さの真なるインパクトは世界中を通して見ることができるしょう」

「ポールは自らが指揮を執れなくなった後も、自身が創設した、あるいは、サポートした数多くの機関がより長く存続する方法について真剣に考えてくれました。ポールのご家族を思えば、それらの詳細について語る時は今ではないでしょう。私たちはポールのミッションを引き継ぎ、彼が私たちに託してくれたプロジェクトに取り組み続けたいと思っています。バルカン社や各チーム、研究機関や博物館に差し迫った変更はありません」

「今日、私たちは自分たちのボスであり、メンターであり、そして、友人であるポールの65歳という若さすぎる旅立ちを深く嘆いておりますが、それと同時に、世界を変えた人物と共に働くことができたことについては心から誇り思うべきだとも感じています」

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