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ブロンコス元オーナーのパット・ボウレンが逝去

2019年06月14日(金) 23:18

デンバー・ブロンコスのパット・ボウレン【AP Photo/Damian Strohmeyer】

デンバー・ブロンコスが第50回スーパーボウル優勝を決めた直後、ロンバルディ・トロフィーを手渡されたジョン・エルウェイは数十年にわたるフランチャイズの過去と現在を結び合わせた。

「これはパットのために!」と彼はトロフィーを掲げ、叫んだ。

それは、18年前にブロンコスが初めてスーパーボウルを制したシーンを再現したにとどまらず、その初めての歓喜の瞬間を演出した人物――ブロンコスのオーナーだったパット・ボウレンを人々に思い出させる意味が込められていた。4度の敗北を経てようやくスーパーボウル優勝を遂げたボウレンは当時、“これはジョンのために!”と叫んだのだった。会場にボウレンの姿はなかったが、その精神と影響は確かにそこに存在していた。

1984年にブロンコスの経営権を手に入れ、オーナー時代の勝利数ではトップクラスに数えられるボウレンが、現地13日(木)、アルツハイマー病との長い闘いの末、75歳でこの世を去った。どんな基準に照らし合わせても、ボウレンは並外れた成功を収めたオーナーだった。破産の可能性からブロンコスを救い、彼らをデンバー地域の柱として成長させ、ポストシーズンの常連に仕立て上げた。

「以前に何度も述べているように、成功とは勝利によって測られるものだ。ドル記号ではない」と彼は2005年に『Denver Post(デンバー・ポスト)』に語っている。

ボウレンはアルツハイマー病であることを明らかにした2014年7月にチームの執行権を手放しており、第50回スーパーボウルが開催された頃にはすでに体調がかなり悪化して会場入りできる状態ではなかった。彼がチームを託したのは、自身のオーナー時代にクオーターバック(QB)を務め、2度のスーパーボウル優勝へと導いたエルウェイだった。2011年にはボウレンが自ら勧誘し、ブロンコスの経営陣にエルウェイを引き入れている。

第50回スーパーボウルの数日前、エルウェイはボウレンの存在がブロンコスにとってどれほど大きな意味を持つか、記者団に説明したことがある。病気になるまでは毎日練習を見学し、施設や選手に惜しみなく投資を続けていた。

「彼がわれわれのスタンダードを作ったんだ」と当時エルウェイは語っている。「われわれが戦い、ベストになれる力を与えてくれたのが彼だ。プレーをするにも仕事をするにも彼は素晴らしいオーナーだよ。なぜなら彼は根本的に勝利を望んでおり、優れたコンペティターだからだ。そうした環境が整っていれば、チャンピオンシップのために戦うことができるようになる。だから、われわれはここへ戻ってくることができるんだ。選手たちはデンバーへ来ると、ここがどんなチームかを理解し、何を期待されているのかを知ることになる」

1988年にボウレンは『Philadelphia Inquirer(フィラデルフィア・インクワイアラー)』のインタビューに対し、良いものと悪いものを知るために、フットボールの枠を越えて自分の選手たちやその家族のことをよく知りたいのだと述べている。

「そうすることで人々にもっと所属意識を感じてもらえるのではないかと思う」とそのインタビューで彼は語った。「私にはこのチームで、どうしても1つ達成したいことがある。それはここにいる皆にハッピーになってもらい、外部の者からは“ああ、ブロンコスでプレーしたいものだなあ。あそこは最高のチームだ”と言ってもらえるようにすることだ。それはフットボールにおける成功の秘訣だ。外部の人々が来たいと思う場所にすることだよ」

ボウレンには目指すべきチームの姿が見えていたようだ。エルウェイを招き入れた後、彼はまな弟子の手によって、ブロンコスが再び高い競争力を取り戻すことを期待していると言い、この先もスーパーボウルを制覇してほしいと『Associated Press(AP通信)』に述べていた。選びぬいた後継者に委ねられたチームは、すでに敗北よりもはるかに多くの勝利を歴史に残している。

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