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殿堂入りしたパッカーズの伝説、ウィリー・デービスが85歳で逝去

2020年04月16日(木) 17:19

ウィリー・デービス(真ん中)【AP Photo/Charles Harrity, File】

NFLコミュニティーは伝説を失った。

殿堂の一員であるウィリー・デービスが現地15日(水)に亡くなったとプロフットボールの殿堂が発表した。85歳だった。

プロフットボールの殿堂のCEOであるデイビッド・ベイカーは「プロフットボールの殿堂のファミリーは深い悲しみをもってウィリー・デービスの死を悼んでいる」と述べた。

「ウィリーの比類なき競技熱は1960年代にロンバルディコーチの下でグリーンベイが勝利の伝統を築いていく上での否定しようのない要素だった。彼はパッカーズが前例のないチャンピオンシップ争いを進んでいくのを助け、2度のスーパーボウル制覇に至った。ウィリーはフィールド内外を問わず、真に人格がにじみでるような人物だった。殿堂は将来の世代のインスピレーションとなるべく、彼のレガシーを永遠に保ち続ける」

デービスはグリーンベイで送った10年間でオールプロに5回、プロボウルに5回それぞれ選出されている。また、第1回と第2回スーパーボウルで優勝している。スーパーボウル時代に入る前にはヴィンス・ロンバルディヘッドコーチ(HC)が率いるファンタスティックなパッカーズの一員としてNFLチャンピオンシップ戦を5度制した(1961年、1962年、1965年、1966年、1967年)。

「グリーンベイ・パッカーズファミリーは今日、ウィリー・デービス逝去の報に触れて悲しみにつつまれている」とパッカーズの社長兼CEOのマーク・マーフィーは述べている。

「彼の時代で最も優れた守備選手の一人であり、ウィリーは1960年代にパッカーズがNFLチャンピオンシップを制する上での重要な貢献者だった」

1969年シーズン終了後に引退したデービスは兄弟と共に蒸留所を開き、後に経営学の修士号を生かして『Dow Chemical(ダウ・ケミカル)』、『MGM Resorts International(MGMリゾーツ・インターナショナル)』、『Schlitz Brewing(シュリッツ・ブリューイング)』、『Sara Lee(サラ・リー)』、『American Express(アメリカン・エキスプレス)』、『Mattel(マテル)』らの理事会のメンバーを務めた。もちろん、それらの企業の中にはグリーンベイ・パッカーズが含まれている。

デービスは2017年に「自分が達成したことを誇りに思う。しかし、さらに誇りに思っているのは、それを手にするために私がしてきた仕事だ」と『Investors Business Daily(インベスターズ・ビジネス・デイリー)』に語った。

デービスは1981年に殿堂入りし、1960年代からNFLのオールディケイドチームに選ばれたほか、1986年にはウォルター・キャンプ・マン・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

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