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QBブリーズの真価は疑いを信頼に変える力

2021年03月15日(月) 16:25


ニューオーリンズ・セインツのドリュー・ブリーズ【AP Photo/Butch Dill】

アスリートとしての終わりは、いとも簡単に眼前に現れることがある。引退を表明したニューオーリンズ・セインツのクオーターバック(QB)ドリュー・ブリーズには、早くも2004年にその瞬間が訪れていた。当時の所属チームであるサンディエゴ・チャージャーズがドラフト日に行われたトレードによってフィリップ・リバースを獲得したときのことだ。

リバースはブリーズの後任になることが想定されていた。ブリーズはその前年に先発11回中2試合でしか勝利できず、ベンチに下がることもたびたびだった。運営陣はこのポジションに、ブリーズがもたらしている以上のものを望んでいた。前述のシーズンにブリーズはインターセプトを15回喫し、タッチダウンパスは11回、試合平均ヤードは192ヤードだった。

問題のトレードの翌日、コメントを取りに来た『NFL.com』のジム・トロッターに駐車場のフェンス越しに声をかけられたブリーズは、記者を建物の中に招き入れ、その目を見据えて「ここは俺のチームだ。俺たちはプレーオフに行く。俺はプロボウルに行く」と断言したという。

それまでの8年間、チャージャーズは勝ち越したことがなく、プレーオフに登場したこともなかった。前年は勝利数でリーグ最少タイの4勝12敗に終わっている。ブリーズの言葉を信じるに足る理由はなかった。だが、ブリーズの方は誰がどう思おうと構わなかったようだ。ブリーズはその年、チャージャーズを12勝4敗に導き、プレーオフに出場した。

プロボウルのロースターが発表されたとき、AFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)の一覧にブリーズの名があった。トロッターはロッカールームへ向かい、ドラフト後に交わした会話を覚えているかブリーズに質問。うなずいたブリーズにトロッターはさらに声をかけた。

「分かっていると思うが、私は君が妄想を語っていると思ったんだ」

そう言われたブリーズはいたずらっぽい笑みとともに「ああ、分かっていたよ」と応じたという。

2年目にチャージャーズで先発の役割を得た後も、ブリーズはトレーニングキャンプの練習後にトロッターを連れ出して「とにかく俺にチャンスを」と話していた。言外に自分にはこの仕事をやりおおせるとの自信を匂わせていたブリーズだが、2003年は思う通りにならなかった。

だが、ブリーズは自分の考えをやめるでも曲げるでもなく、むしろ自分に倍賭けする。マインドコーチを雇い、パーソナルトレーナーと共にできる限り体を作り上げた。夕方にはプレーブックを学び、ナイトテーブルにそのプレーブックを置いている。一日の終わりに見るのも、最初に見るのも、プレーブックであるように。

2004年、ブリーズは成功率とタッチダウンパス、試合平均パスヤードで当時のキャリアハイをマークする。パサーレーティングは37.3上昇して104.8となった。リバースを2シーズンにわたってベンチにとどめたブリーズは、チャージャーズでの最後の試合で投球側の関節唇を完全に断裂。2006年にフリーエージェントとしてのブリーズに関心を持ったのはマイアミ・ドルフィンズとセインツだけだった。それでも、ブリーズは自分を信じ続けた。

その後の伝説は、語るまでもない。数々の記録や賞に彩られたそのキャリアだが、単純にそれで判断するのは少し違う。

ブリーズはスポーツを特別なものにすると想定される要素のすべてを信じているとトロッターは語る。すなわち、ハードワーク、説明責任、自分よりも大きなものを信じること。そういった要素がもっとも現れていたのは、昨オフシーズンに国歌演奏中にひざをついて国旗に不敬なことはしないと述べた際だとトロッターは振り返った。このとき、一部の黒人のチームメイトたちが、公にブリーズを非難。ブリーズはそれらを無視したり、自分の主張を強めたりすることなく、当時のチームメイトたちや元僚友と話し合う。彼らはそれぞれ、ブリーズに怒ったり、落胆したりしていた。その声に耳を傾けたブリーズはそこから学び、正式に謝罪して社会の変革に取り組んでいく。

それから間もなく、ドナルド・トランプ前大統領がブリーズの最初のコメントを支持すると話したことがあった。しかし、ブリーズはその前に立ち上がり、抗議者たちへの支持を改めて表す。ブリーズはそのとき、今は“人種間の制度的な不公正や経済的抑圧、警察官による暴力、司法と拘置所の改革に関する真の問題”に取り組むときだと主張。そのキャリアで疑いを信頼に変えてきたブリーズはこのとき再び、疑う者たちを信じる者に変えたのだ。

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