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ペイトリオッツで3度のスーパーボウル王者に輝いたデイビッド・パッテンが47歳で事故死

2021年09月04日(土) 05:23


2002年2月3日第36回スーパーボウル:セントルイス・ラムズ対ニューイングランド・ペイトリオッツ【Kevin Terrell via AP】

ニューイングランド・ペイトリオッツ王朝の初期にコンスタントに先発ラインアップ入りし、3度のスーパーボウルチャンピオンに輝いた元NFLのワイドレシーバー(WR)デイビッド・パッテンが現地2日(木)、サウスカロライナ州リッチランド郡で亡くなった。47歳だった。『NFL.com』に対し、検死官のネイダ・ラザフォードが訃報を認めた。

パッテンは木曜日の夜、午後9時35分にサウスカロライナ州コロンビア近くのクレムソン・ロードとオールド・クレムソン・ロードの交差点付近でオートバイで事故に遭い、亡くなった。カワサキ製のオートバイに乗ったパッテンは、クレムソン・ロードを西に向かっていたが、“センターラインを越えて左車線に入った”といい、向かってきたシボレー製のセダンと衝突したとサウスカロライナ州ハイウエー・パトロールは説明している。

検視官事務所は“この事故の完全な調査”を実施するため、ハイウエー・パトロールと協力していると述べている。

「デイビッドがこのような若さで悲劇の死を遂げるとは、胸が張り裂けそうだ」と彼のペイトリオッツ時代からヘッドコーチ(HC)を務めているビル・ベリチックは声明を出した。「デイビッドのコーチを務められたことに感謝する。彼はペイトリオッツの歴史に欠かせない人物、そして選手であり、彼なくしてわれわれはスーパーボウルのチャンピオンにはなれなかっただろう」

「デイビッドのプロフェッショナルとしての旅に、私は特別感謝している。他の皆と同様に、デイビッドは無名なところから自分の腕だけではい上がった選手の典型であり、大方の予想に反してNFLで仕事を得たばかりでなく、複数のチャンピオンチームでキープレーヤーとなった。彼を知ることができた光栄な人々の代表として、私は彼のワークエシック、ポジティブなエネルギーとキャラクターはまさにエリートだったと証言できる。彼のご家族と愛する人々に、心から哀悼の意を表したい」

パッテンはNFLでニューヨーク・ジャイアンツ、クリーブランド・ブラウンズ、ワシントンとニューオーリンズ・セインツでもプレーしたが、最も素晴らしく、最も長く続いたのはペイトリオッツで過ごした日々だった。

彼がニューイングランドでプレーしたのは2001年から2004年で、その間にスーパーボウルでの勝利を3度達成し、54試合のレギュラーシーズンゲームに出場して44回に先発、165回のキャッチで2,513ヤード、16回のタッチダウンを記録している。

ペイトリオッツが初めて勝利したスーパーボウルでパッテンは先発しており、キャッチは1回だけだったものの、それをトム・ブレイディという若者から受け取り、8ヤードのタッチダウンを決めたのだから思い出深い。これまでスーパーボウルで21回のタッチダウンを決めているブレイディにとって、これが最初のパスだった。パッテンの取った6点でペイトリオッツは第36回スーパーボウルで13対3のリードを築き、最終的に20対17で勝利して、ここから彼らの王朝が始まった。

「デイビッドが亡くなったというニュースを知り、悲しみに打ちひしがれている」とペイトリオッツのオーナー、ロバート・クラフトは声明で述べた。「彼は信心深いクリスチャンで、フットボールキャリアを終えた後も自身の情熱に従い、自らの教会を開いた。デイビッドは小柄な、過小評価されたワイドレシーバーから、パワフルで情熱的な伝道者となったのだ」

「彼はニューイングランドで、永遠に3度のスーパーボウル王者として記憶される。ピッツバーグで行われたAFCチャンピオンシップゲームでの彼のタッチダウンレシーブがペイトリオッツを第36回スーパーボウルへと進ませた。あの試合のエンドゾーン奥での目を見張るような彼のキャッチを私は決して忘れない。それはわれわれの唯一のオフェンシブタッチダウンであり、フランチャイズ史初のチャンピオンシップにつながった。彼の妻ガリエナ、ご家族と、デイビットの悲劇的で早すぎた死を悼む全ての人々に心からお悔やみを申し上げたい」

NFLでの12シーズンで、パッテンは324回のパスをキャッチして4,715ヤードを獲得、24回のタッチダウンを決めた。2002年にニューイングランドで記録した61回のレシーブと824ヤード、そして2004年に記録した7回のタッチダウンがキャリアハイとなった。

1997年にドラフト外フリーエージェントとしてウェスタンカロライナ大学からジャイアンツに入り、キャリアをスタートした。

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