ベンガルズで長年DEを務めたロス・ブラウナーが67歳で死去
2022年01月06日(木) 18:27ノートルダム大学で2度のオールアメリカンに選ばれ、NFLでプレーした4人兄弟の1人であるロス・ブラウナーが亡くなった。67歳だった。
ブラウナーの息子で元NFLのオフェンシブラインマン(OL)のマックス・スタークスが現地5日(水)の朝、『Twitter(ツイッター)』上で父の死を報告した。
「世界は巨人を失った」とスタークスはつづっている。「われわれの心は重いが、彼は平穏を得た」
オハイオ州ウォーレンで生まれたブラウナーは、成功を収めたフットボール一家の一員だった。6人兄弟の長男で、オハイオではそれぞれが高校フットボールのスターだったという。ロスの他にジミー・ブラウナー、キース・ブラウナー、そしてジョーイ・ブラウナーの3人が兄に続いてNFL入りを果たした。
ロスはNFLで10シーズンをプレーし、最初の9年はシンシナティ・ベンガルズで、最後の1年はグリーンベイ・パッカーズのメンバーとして過ごした。
スタークスは10年間OLとしてNFLでプレーし、ピッツバーグ・スティーラーズで2度のスーパーボウル優勝を果たしている。同じくロスの息子でスタークスの弟にあたるライランもアリゾナ大学でカレッジフットボールをプレーしていた。
ブラウナーはノートルダムで4年間スターターを務め、コーチのアラ・パーセギアンの下、1973年と1977年にファイティング・アイリッシュの全国選手権制覇に貢献した。
3年生だった1976年にオールアメリカンとなり、全米ベストラインマンに選ばれてアウトランド・トロフィーを獲得した。
4年生だった1977年にも再びオールアメリカンに選ばれている。全米ベスト選手としてマクスウェル賞を受賞し、国のベストラインマンに贈られるロンバルディ賞を獲得、ハイズマン・トロフィーの投票では5位に入った。
ディフェンシブラインマンとしての通算タックル340回というのは今も母校の記録として残っており、タックルフォーロスは通算77回だった。
1978年のNFLドラフトでベンガルズから全体8位で指名されたロスは、すぐにディフェンシブラインのスターターとなった。
彼らの元ワイドレシーバー(WR)アイザック・カーティスは、ブラウナーの豪快な笑い声を懐かしく思い出すと『Bengals.com』にコメントした。
「どこにいても聞こえてくるんだ。彼はロッカールームに太陽の光をもたらしてくれた。みんなに広がるようなエネルギーを持った人だったよ」とカーティスは評した。
ブラウナーはベンガルズが初めてスーパーボウルに到達した1981年シーズンのチームの一員だった。彼はそこで10回のタックルとサック1回を記録したが、チームは26対21でサンフランシスコ49ersに敗れている。
1999年にはカレッジフットボールの栄誉の殿堂入りを果たしていた。
フットボール引退後はいくつかのビジネスに乗り出し、やがて不動産業をなりわいとしてテネシー州ナッシュビルに居を構えた。
妻のシェイラと2人の息子を残して彼は旅立った。
記事提供:『The Associated Press(AP通信)』
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