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19年間所属し、7シーズンにわたってDCを務めたバトラーがスティーラーズを退団

2022年01月23日(日) 14:41


ピッツバーグ・スティーラーズのキース・バトラー【NFL】

ピッツバーグ・スティーラーズの防勢作戦のブレーンがそのキャリアに終止符を打つ。

スティーラーズは現地22日(土)、守備コーディネーター(DC)のキース・バトラーが引退を表明したと発表。

バトラーはチームが出した声明の中で次のように語っている。「今日はフットボールのコーチングキャリアから退くことを発表する感慨深い1日となった。1990年以降、毎年NFLとNCAAのコーチとして過ごしてきたが、大好きな試合のプレーとコーチング両方のキャリアでの成功を経て、離れるのにふさわしいときがきた」

「ルーニー家の皆さん、ビル・カウハー、マイク・トムリン、そして私のコーチングキャリアで関わったすべてのコーチや選手に感謝したい。これまで私を支えてくれた家族と過ごす時間が増えるのは楽しみだ。ピッツバーグ・スティーラーズの成功を心から願い、引退後も応援し続ける」

2003年にラインバッカーコーチとしてスティーラーズに入団し、ジョーイ・ポーターやローレンス・ティモンズ、ジェームス・ハリソン、ラマー・ウッドリー、ジェームス・フェリアーといったスティーラーズのヒーローの育成において重要な役割を果たしたバトラーは、過去20年間、スティーラーズの重々しい守備陣にとって必要不可欠な存在だった。スティーラーズは昔から凶暴なラインバッカーを輩出するチームとして知られており、バトラーはそうした21世紀のラインバッカー全員の指導にも関わってきたと言えよう。

バトラーは入団当時、尊敬するDCディック・ルボーの下で働き、2015年にルボーの退任と同時にその座を引き継いだ。バトラーが指揮を執るようになってから、スティーラーズは守備面で目覚ましい成功を収めるようになり、2016年にはリーグ12位、その後4シーズンでは連続してNFL6位以上につけている。

2010年代半ばには爆発的な攻撃陣も相まって、スティーラーズは2014年から2017年にかけてAFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)北地区を3度制覇するなど、信じられないほどの強さを誇るチームとなった。バトラー率いる守備陣は対戦相手の心に恐怖を与え、有名な“スティールカーテン”の記憶を呼び起こし、スティーラーズ本来の強さを取り戻すことに貢献した。

そのアイデンティティーは昨年から崩れ始めており、ディフェンスの主力選手の何人か(例えば、バド・デュプリーなど)に別れを告げたスティーラーズはディフェンスの順位をNFL3位から24位まで落としている。

このようなハードルがあったにもかかわらず、バトラーはキャリアを終える前に指導した選手らと共に最後の特別なシーズンを楽しむことができた。アウトサイドラインバッカー(OLB)T.J.ワットは2021年シーズンで15試合にしか出場していないにもかかわらず、歴代最多記録と並ぶ22.5回のサックをマークし、オフェンスに苦戦することが多くなっても、バトラーはトムリンHCと協力してスティーラーズがプレーオフへの道を切り開くのに貢献した。

バトラーは選手としてNFLに入り、シアトル・シーホークスのラインバッカー(LB)として1978年から1987年までの10シーズンを過ごした。引退後にカレッジの指導に移ったバトラーは1999年にNFLのサイドラインに戻り、2001年の人員整理を乗り越えて2002年までブッチ・デービスHC(ヘッドコーチ)のもとでクリーブランド・ブラウンズに所属していた。

プレーコールだけにとどまらず、バトラーのスティーラーズに対する貢献は懐かしく思い出されるだろう。

【RA】