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チーフスに初のロンバルディトロフィーをもたらした殿堂入りQBのレン・ドーソンが87歳で逝去

2022年08月25日(木) 12:13


レン・ドーソン【NFL】

ピッツバーグ・スティーラーズやクリーブランド・ブラウンズでデプスチャートの下方に沈みながらも、未来の殿堂入りクオーターバック(QB)は努力を続けていた。

プロ6年目にしてついに、レン・ドーソンはダラス・テキサンズの正真正銘のスターターになるチャンスをつかむ。1962年のことだ。ドーソンと、じきにカンザスシティ・チーフスとなるフランチャイズは、そこから決して後ろを振り返らなかった。

3度のAFL(アメリカン・フットボール・リーグ)制覇を果たし、チーフスに初のスーパーボウル優勝をもたらしたドーソンが、現地24日(水)に87歳で亡くなった。ドーソンはミネソタ・バイキングスが勝利すると思われていた試合でチーフスが大番狂わせを演じた第4回スーパーボウルのMVPでもある。

ドーソンがホスピスに入ったことを8月12日に『Associated Press(AP通信)』が伝えていたが、その理由は明らかになっていなかった。

チーフス会長兼CEOのクラーク・ハントは水曜日に出された声明の中で「私の家族と私は悲嘆に暮れています」と述べた。

「レン・ドーソンはカンザスシティ・チーフスと同義です。レンはカンザスシティとそこをホームと呼ぶ人々を内に受け入れ、それを体現するようになりました。この組織を今ある形へと築き上げる中でレン・ドーソン以上に大きなインパクトを残した選手は見つからないことでしょう」

1957年ドラフトの全体5位でスティーラーズに指名されたドーソンは、プロとして19シーズンを送った。2度のオールプロであるドーソンはパス成功率で8回にわたってリーグトップに立っている。また、タッチダウンパス記録を4回マークした。歴史を振り返ってみれば、ドーソンは1960年代のトップQBの一人でありながらも、ジョニー・ユナイタスやバート・スター、ソニー・ジャーゲンセンの陰に隠れているところがあった。

プロとして最初の5シーズンをベンチで過ごしたドーソンだったが、そこからは奇跡的なキャリアを送り、生涯を通じて2万8,711パスヤード、タッチダウン239回をマークし、1987年にプロフットボールの殿堂に迎えられている。チーフスで記録した2万8,507ヤードとタッチダウンパス237回は今でもフランチャイズ史でトップの数字だ。ドーソンはAFLのオールスターゲームに6度、プロボウルに1度選出された。

プロフットボールの殿堂の会長であるジム・ポーターは声明の中で「レンはいずれプロフットボールの殿堂が建つ場所からわずか数マイルのところに生まれました。地元のファンはこの地域からカントンに迎えられる偉大な選手が出ることを常に、特別に誇らしく思っています」と述べている。

「ファンはレンの不屈の努力の物語と結びつき、他の人間であればあきらめてしまったであろう5シーズンの後に、彼がいかにもう一度挑戦しようとしたかを称賛しています」

「アメリカン・フットボール・リーグと殿堂の一員であるハンク・ストラムコーチがレンに真のチャンスを与え、彼はそれを最大に活かし、チーフスをスーパーボウルコンテンダーに育て、ワールドチャンピオンになったのです」

ドリュー・ブリーズがパスゲームにおけるピンポイントの正確性で称賛される前、そこにはドーソンがいた。

パトリック・マホームズが驚異的な数字を叩き出し、チーフスを2度目のスーパーボウルへと導く前、そこにはドーソンがいた。

彼はカントンに祀られた史上最高のクオーターバックの一人であり、チーフスの歴史に刻まれた伝説なのだ。

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