“NFLオナーズ”で2023年のプロフットボールの殿堂メンバーが発表される
2023年02月10日(金) 18:10第57回スーパーボウルを3日後に控えた現地9日(木)、『NFL Honors(NFLオナーズ)』の場で2023年にプロフットボールの殿堂に迎えられる面々が発表された。
2023年度の殿堂入りメンバーは次の通り。
ロンド・バーバー
NFL史上で唯一、インターセプト40回以上とサック25回以上を記録。バーバーはタンパベイ・バッカニアーズの伝説的な選手であり、16年のキャリアすべてをバッカニアーズで過ごす中で、フランチャイズ歴代トップのインターセプト(47回)とディフェンシブタッチダウン(12回)をマークしている。2002年にバッカニアーズがスーパーボウル優勝を果たした際の主要メンバーであり、2000年代のオールディケイドチームに選ばれているほか、プロボウル選出5回、オールプロのファーストチーム選出3回を誇る。
ダレル・リービス
世代を代表するコーナーバック。プロフットボールの殿堂入りの資格が生じて初めての投票で選ばれている。オールプロのファーストチーム選出4回を数えるリービスは、当時のディフェンスの中でも最もタフな選手の一人であり、レックス・ライアン率いる2010年代のジェッツで活躍した。2009年に2年連続でのAFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)決勝戦のうちの一つに臨んだジェッツにおいて、1対1で優れたレシーバーたちを次々に仕留めた活躍によって“リービスアイランド”の二つ名を得ている。2010年代のオールディケイドチームの一人。
ジョー・トーマス
クリーブランドのアイアンマンがカントンへ向かう。2007年の全体3位指名選手であるジョー・トーマスはクリーブランド・ブラウンズでレフトタックルとして167戦連続で先発出場した。その活躍によって、プロボウルに10度、オールプロに6度選ばれている。ブラウンズで記録的な1万0,363連続オフェンシブスナップでプレーしながらもポストシーズンでは一度もプレーしなかった。資格が生じた初年度にして、ジョー・トーマスはよく知られたブラウンズの装いからゴールドジャケットに着替える。
ザック・トーマス
4年連続でファイナリストに選ばれたザック・トーマスに、資格が生じてから10年目にしてついにカントンへの道が開かれた。1996年にドラフト5巡目でマイアミ・ドルフィンズに指名されたザック・トーマスは、キャリアを開始してすぐに当時のトップレベルのラインバッカーとして頭角を現している。この年、ザック・トーマスはディフェンス部門年間最優秀新人賞でシメオン・ライスに次ぐ2位に入った。2000年代に記録したタックル1,181回は、ロンドン・フレッチャーやレイ・ルイスに次ぐ歴代3位となっている。2000年代のオールディケイドチームの一員。
デマーカス・ウェア
世代の中で最も恐れられたパスラッシャーの一人であるウェアがプロフットボールの殿堂に選ばれるまで、待つ必要があったのは2年のみだった。ダラス・カウボーイズとデンバー・ブロンコスで活躍したウェアはプロボウル選出9回、オールプロのファーストチーム選出4回を数え、2000年代のオールディケイドチームにも選ばれている。キャリア通算サック138.5回はNFLの歴史で9番目に多く、21世紀に限れば3番目の記録だ。2005年にカウボーイズからドラフト1巡目で指名されたウェアは、在籍中にチーム最多のサック117回もマークしている。
ドン・コリエル(コーチ/貢献者)
2010年に85歳で亡くなったコリエルはカーディナルスとチャージャーズで合わせて14シーズンにわたってヘッドコーチを務め、通算で111勝83敗1引き分け、プレーオフ出場6回という成績を収めている。コリエルが最も影響を与えたのは、その攻撃的なアプローチと革新性だ。ランニングバック(RB)を1人起用するフォーメーション、レシーバーのオプションルートの使用、タイトエンド(TE)を動き回らせてパスキャッチャーや“ジョーカー(ワイドレシーバーとしての役割も兼任するタイトエンド)”として使用する手法、ランニングバックのスクリーンやスナップ前の動きなどは、すべてコリエルの功績だ。コリエルと“エアコリエル”というニックネームで親しまれたオフェンスが最も愛され、最も革命的だったのはチャージャーズ時代だった。
チャック・ハウリー(シニア)
カウボーイズの最初のスターたちの一人であるハウリーに、ゴールドジャケットが送られる。1958年にシカゴ・ベアーズからドラフト1巡目で指名されたラインバッカーは、その後13シーズンをダラスで送り、チームを立ち上げたばかりのカウボーイズを“アメリカズチーム”へと成長させる上で貢献した。ハウリーはオールプロのファーストチームに5回、プロボウルに6回選ばれ、カウボーイズと共に第6回スーパーボウルで優勝している。しかし、その名が最も知られているのは、第5回スーパーボウルでインディアナポリス・コルツに敗れながらも、MVPに選ばれたことだろう。今日まで、ハウリーは敗北しながらもスーパーボウルMVPになった唯一の選手となっている。
ジョー・クレッコ(シニア)
“ニューヨーク・サック・エクスチェンジ”のメンバーの一人が、正式に殿堂に迎えられる。クレッコはニューヨーク・ジェッツのチームメイトだったマーク・ガスティノー、マーティ・ライオンズ、アブドゥル・サラームと共に、1980年代に多くのクオーターバックたちを恐怖に陥れた。12年のキャリアの1年を除くすべてでギャンググリーンに所属したクレッコは、1977年のドラフト6巡目指名選手から、1981年にはNFLのサックリーダー(20.5回)にまで成長。4度のプロボウラーであるクレッコは、これまで複数回ノミネートされながらも殿堂に招かれることはなかったが、2023年に変化が訪れている。
ケン・ライリー(シニア)
シンシナティ・ベンガルズの偉大なるオリジナルメンバーの一人であるライリーが、満を持して殿堂のメンバーに選ばれた。チーム2年目の1969年にドラフト6巡目で指名を受けたディフェンシブバックは、15年のキャリアのすべてをベンガルズでプレーしている。ライリーはNFLでの最後のシーズンである1983年にオールプロのファーストチームに選ばれたが、このゲームでも最も優秀なボールホークの一人はその前からよく知られていた。2020年に亡くなったライリーは、以前にベンガルズの最初のリング・オブ・オナーに選ばれている。そして、今はカントンの殿堂でその功績が永遠に称えられることになった。
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