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元カーディナルスGコンラッド・ドブラーが72歳で死去

2023年02月14日(火) 13:30


コンラッド・ドブラー【NFL】

元ガード(G)のコンラッド・ドブラーが72歳で死去したと、アリゾナ・カーディナルスが現地13日(月)に発表した。

ドブラーは現役時代にリーグで最も汚い選手として悪名高く、1977年の『Sports Illustrated(スポーツ・イラストレイテッド)』の記事では「クオーターバック(QB)を守るためなら何でもやる」と語っていたように、本人もその肩書きを恥じることはなかった。

1972年のNFLドラフトでセントルイス・カーディナルスから5巡目で指名されたワイオミング大学出身のドブラーは自分の思うようにプレーし、その結果、カーディナルス、ニューオーリンズ・セインツ、バッファロー・ビルズに所属した10シーズンの間に3度のプロボウル選出を果たしている。

カーディナルスのオーナーであるマイケル. J.ビッドウィルは「コンラッド・ドブラーの家族、友人、元チームメイトにお悔やみを申し上げます」とチームの声明で述べた。

「彼はチームメイトとして一緒にオフェンシブラインで肩を並べたいような、対戦相手としては絶対に対峙したくないような、タフでフィジカルで激しいプレーヤーでした。フィールド上でコンラッドは1970年代のカーディアック・カーズの立役者でした。フィールドを離れても、幸運にも彼の友人になることのできたすべての人に本物の喜びと思いやりをもたらし、それが私の記憶に最も残っていることです」

ドブラーは最初の6シーズンをカーディナルスで過ごしてキャリアをスタートさせた。ドブラーと殿堂入りしたオフェンシブラインマン(OL)のダン・ディアドルフはリーグトップのオフェンシブラインを率いるのに貢献した。このコンビは1975年に8回のサックしか許さず、1975年から1977年にかけてはリーグ最低となる40回のサックを記録している。ドブラーは先週にプロフットボールの殿堂入りを果たしたばかりの元ヘッドコーチ(HC)ドン・コリエルのもとでプレーした。ドブラーとコリエルは1974年と1975年にNFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)東地区で優勝している。

ドブラーは1978年から1979年までセインツで2年間、さらにビルズで2年間プレーしてから1981年のシーズンを最後に引退した。

10年間のキャリアでドブラーは出場した129試合のうち125試合で先発している。

【R】