元パンサーズオーナーのジェリー・リチャードソンが死去、享年86
2023年03月03日(金) 13:14カロライナ・パンサーズの創設者で、スキャンダルによってチームを売却するまで何年もの間、NFLの最も影響力のあるオーナーの一人だったジェリー・リチャードソンが亡くなった。86歳だった。
リチャードソンは現地2日(水)の夜に、シャーロットの自宅で安らかに息を引き取ったとチームが声明で伝えている。
1993年にエキスパンションでパンサーズが誕生することになった際、リチャードソンはシカゴのジョージ・ハラスに次ぐ、元NFL選手のチームオーナーとなった。
木曜日、NFLコミッショナーであるロジャー・グッデルは声明の中で「ジェリー・リチャードソンが亡くなり、NFLコミュニティーは深い悲しみに沈んでいます」と述べた。
「カロライナ・パンサーズはコミュニティーへの彼の比類ない、そして休むことのない献身の証です。それだけではなく、スタジアム委員会、経営会議執行委員会を含むNFLの数々の委員会でのリーダーシップを通じて示された彼のリーグを最優先にする姿勢は、全国に広がる官民提携のスタジアムや団体労働協約への道を切り開き、このゲームの成長を支えています」
「彼自身が元選手だったジェリーは、選手たちの生活や幸福をとても気にかけ、彼が交渉に携わった労働協約は何世代もの選手たちの利益を改善することにつながりました」
「個人的にも、彼は私や同じオーナーたち、多くのパンサーズの選手たち、コーチにとって、長年にわたって賢く思いやりのあるアドバイザーでした」
「NFLを代表して、ジェリーの夫人であるロサリンドさんと彼らのご家族に、心からの哀悼の意を表します」
1959年NFLチャンピオンシップゲームでボルティモア・コルツがニューヨーク・ジャイアンツを下したときにタッチダウンパスをキャッチしたジョニー・ユナイタスの元チームメイトであるリチャードソンは、NFLで2年を送った後にレストラン業へと転身する。チャンピオンシップのボーナスを元手に、リチャードソンは『Hardee’s(ハーディーズ)』のサウスカロライナ州スパータンバーグ1号店を出店した。リチャードソンが通ったウォフォード大学に近い土地での挑戦だった。
レストラン業で財産を築いたリチャードソンは、当時全米で6番目の規模を誇ったフードサービス企業『Flagstar(フラッグスター)』のCEOに就任。
ノースカロライナ州スプリングホープに生まれたリチャードソンは、何年もの間、カロライナにチームを置くようNFLに働きかけてきた。その願いはやがて、永久シートライセンスの販売を通じて新スタジアムに資金を供給するという、オリジナルのコンセプトに比較的近い形に昇華されていく。
パンサーズの現オーナーであるデビッド・テッパーとニコール夫人は「カロライナのプロフェッショナルフットボールに対するジェリー・リチャードソンの貢献は、歴史的なものです」と語った。
「1995年にパンサーズが登場した際、彼はこの地域におけるスポーツの状況を変え、この地域のNFLファンに自分たちのものと呼べるチームを与えました。私がこのチームを購入したとき、彼は私に信じられないくらい親切にしてくれ、そのことに感謝しています。ニコールと私はロザリンドさんとリチャードソン家、彼らの愛する人々に心から哀悼の意を表します。彼らに平安と癒やしがあることを」
パンサーズは1995年にプレーを開始し、リチャードソンはこのチームをリーグのモデル的なフランチャイズの一つへと急速に発展させ、NFLで力を持った人物になった。リチャードソンはいくつかの重要なオーナー委員会に所属し、選手会との労働交渉で重要な役割を果たしている。
しかし、その評判は大打撃を受けた。リチャードソンがパンサーズの売却を発表した2017年12月17日は、4人の元パンサーズ従業員がリチャードソンによる不適切で性的な内容を示唆する言葉や行動に対して多額の和解金を受け取ったと『Sports Illustrated(スポーツ・イラストレイテッド)』が報じた日でもある。
リチャードソンは2018年5月に、当時のNFL最高額にあたる22億7,000万ドル(約3,102億9,538万円)でチームをヘッジファンドのオーナーであるテッパーに売却。その翌月、NFLはリチャードソンに、申し立てられた職場での不品行に対する275万ドル(約3億7,594万円)の罰金を言い渡した。
リチャードソンがこの申し立てについて公の場で説明することはなかった。
パンサーズを購入した後、テッパーはリチャードソンの銅像を維持することが“契約で義務付けられている”と話していた。2頭のパンサーを両側に従えたリチャードソンの像は、リチャードソンがシャーロットに建てたスタジアムの前に立っている。
しかし、2020年6月、パンサーズはジョージ・フロイドさんの死に対する抗議と混乱の中で銅像を倒そうとする試みに対する懸念を理由に、この像を撤去した。
“公共の安全のために銅像を撤去する”と説明したチームだが、その像が戻ることはなかった。
1995年にプレーを開始した際、リチャードソンはパンサーズが“10年以内に”スーパーボウルで優勝すると話していたものの、それは実現していない。チームは2003年と2015年シーズンにスーパーボウルの舞台にたどり着いたが、いずれも敗北している。
リチャードソンは安定性を得ることに苦心し、パンサーズはリチャードソンがオーナーだった23シーズンの間に2年連続で勝ち越すことができなかった。この間にヘッドコーチを務めたのはドム・ケイパーズ、ジョージ・シーファート、ジョン・フォックス、ロン・リベラだ。
リチャードソンは妻ロザリンドさん、息子のマークさん、娘のアシュリー・リチャードソンさんを遺して天に召された。
記事提供:『The Associated Press(AP通信)』
【A】