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セインツのDCを務めたスティーブ・シドウェルが逝去、享年78

2023年08月25日(金) 14:18

スティーブ・シドウェル【NFL】

21年間のNFLキャリアで4チームの守備コーディネーター(DC)を務めたスティーブ・シドウェルが、現地23日(水)夜に亡くなったとニューオーリンズ・セインツが発表した。78歳だった。

1986年から1994年までセインツの守備コーディネーターを務めたシドウェルは、殿堂入りしたリッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、パット・スウィリング、ヴォーン・ジョンソンといった驚異的なラインバッカー陣を擁した“ドーム・パトロール”ディフェンスを指揮したことで有名だ。

セインツのオーナーであるゲイル・ベンソンは声明で次のように述べている。

「9年間、スティーブ・シドウェルはニューオーリンズ・セインツの成功に不可欠な役割を果たし、フランチャイズの中でも特に偉大なディフェンス選手の育成に貢献してくれました。これらのチームと選手の成功は、今日に至るまで私たちの組織とファンの心に響き続けています。私の亡き夫トムは、スティーブの全在任期間でチームを所有しており、コーチとしても人としても彼に大きな親しみを抱いていました。スティーブは傑出したコーチであるだけではなく、献身的な夫であり、父親であり、祖父でもありました。奥さまのキャスリーンや2人のご子息、ブラッドとスコットをはじめとするシドウェル家の皆さまに、謹んでお悔やみ申し上げます」

シドウェルはヒューストン・オイラーズ(1995年から1996年)、ニューイングランド・ペイトリオッツ(1997年から1999年)、シアトル・シーホークス(2000年から2002年)でも守備コーディネーターを務めた。

ペイトリオッツの会長兼CEOであるロバート・クラフトは木曜日に発表した声明で「スティーブ・シドウェルの訃報に接し、悲しみを覚えています」と述べている。

「彼がここにいる間、私は彼と過ごした時間を本当に楽しんでいました。彼はいつも、選手やパフォーマンスに対してとても正直で率直な評価をしてくれました。奥さまのキャスリーンやご家族の皆さま、そして彼の死を悼むすべての人に思いを寄せています。彼の存在は惜しまれることでしょう」

シドウェルは1966年から1981年にかけてコロラド大学、ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)、南メソジスト大学(SMU)でコーチを務めた後に、NFLでの長きにわたるキャリアをスタートさせた。

1982年から1984年まではペイトリオッツに所属し、当時ヘッドコーチ(HC)を務めていたロン・マイヤーの下でラインバッカー(LB)コーチを務めた。インディアナポリス・コルツで1シーズンを過ごしたのちにセインツに加入したシドウェルは、そこでNFL史上最高レベルのLB陣を監督することになる。

ショーン・ペイトンやドリュー・ブリーズが登場する前に、セインツはシドウェルがジム・モーラの下でコーチを務め、守備コーディネーターやインサイドラインバッカー(ILB)コーチを担当していたときにも実り多き時代を過ごしていた。

シドウェルが在籍している間にセインツは4シーズンでプレーオフ進出を果たしている。その間に、7人の守備選手が合計18回、プロボウルに選出された。12勝4敗という成績を収めた1992年シーズンに、セインツからは4人のラインバッカー――ジャクソン、ジョンソン、ミルズ、スウィリング――がプロボウルに選ばれている。その前年、スウィリングはAP通信NFLディフェンス部門年間最優秀選手賞に輝いた。

クオーターバック(QB)にプレッシャーをかけることで知られていたシドウェル率いるセインツ守備陣は、1991年から1992年にかけて2年連続で、被得点でNFL内トップに。シドウェルの在任中に6シーズンで、セインツディフェンスは被得点で10位以内にラインクインしている。

シドウェルはセインツを離れてから、オイラーズでジェフ・フィッシャー、ペイトリオッツでピート・キャロル、シーホークスでマイク・ホルムグレンの下でコーディネーターを務めた。

シーホークスで指導者としてのキャリアを終えた2年後、シドウェルはセインツの殿堂入りを果たしている。

【RA】