元ラムズDBエディー・ミーダーが逝去、享年86
2023年09月06日(水) 13:51現地5日(火)、ロサンゼルス・ラムズの一員としてプロボウルに6度選出された経歴を持ち、プロフットボールの殿堂のオール1960年代チームのメンバーにもなった元ディフェンシブバック(DB)エディー・ミーダーが亡くなったとチームが発表した。86歳だった。
オールプロのファーストチームにも2度選出されたミーダーは、12シーズンにわたってNFLでプレーし、そのすべてをラムズの先発として過ごした。
ラムズは声明で次のようにつづっている。「NFLの偉大な選手、エディー・ミーダーの訃報に接し、深い悲しみを覚えています。彼は12年間のキャリアを通して、私たちの組織とロサンゼルスのコミュニティにとっての傑出したリーダーでした。彼は本能的で恐れを知らないコンペティターであり、NFLの歴史の中でも屈指のディフェンスを率いました。エディーはチームメイトを鼓舞する能力でラムズの中核を担い、その謙虚さで誰からも親しまれました。私たちはミーダー家の皆さまとご友人に思いを寄せています。彼のレガシーは永遠に生き続けることでしょう」
1969年にNFLPA(NFL選手会)のアラン・ページ・コミュニティ賞を受賞したミーダーは、依然としてキャリア通算インターセプト数(46回)でラムズの記録を保持しており、インターセプトリターンタッチダウン数(5回)ではトップタイとなっている。通算で163試合に出場したミーダーはそのうち160試合で先発を務め、22回のファンブルリカバリーをマークしている。
1959年NFLドラフト7巡目指名を受けたアーカンソー・テック大学出身のミーダーは、ラムズで即戦力として活躍し、新人ながら11試合に先発出場、インターセプト3回を決めた。
ジョージ・アレンがヘッドコーチ(HC)を務め、ミーダーが殿堂入りを果たしたディフェンシブラインマン(DL)ディーコン・ジョーンズおよびマーリン・オルセンの後ろでセンセーショナルなプレーを見せていた1966年から1970年まで、ラムズ守備陣は毎シーズン、被得点で5位以内にランクインしていた。
ミーダーがキャリアハイとなるインターセプト8回を記録した1967年シーズンに、ラムズはNFLコースタル地区を制し、ミーダーはそこでキャリア初のポストシーズン進出を果たした。ラムズは1967年から1969年にかけて3年連続で2ケタ勝利を達成し、1967年と1969年にはディビジョンタイトル獲得とプレーオフ進出を果たしている。ミーダーはそのどちらのシーズンでもプロボウルに選ばれ、1968年と1969年にはオールプロに選出された。
1950年代に始まったミーダーのキャリアは1970年に幕を閉じている。最終シーズンでは13試合に先発出場し、毎シーズン11試合以上に先発したキャリアをしめくくった。
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