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殿堂入りした元ベアーズLBのディック・バトカスが80歳で逝去

2023年10月06日(金) 15:34


ディック・バトカス【NFL】

NFL史上最高のラインバッカー(LB)の1人と称賛され、プロフットボールの殿堂入りを果たしたディック・バトカスが80歳で亡くなった。シカゴ・ベアーズが発表している。

チームによれば、バトカスはカリフォルニア州マリブにある自宅で“夜に眠っているうちに穏やかに”息を引き取ったとのことだ。

ベアーズ会長のジョージ・H・マッカスキーは声明で「ディックは究極のベアーであり、NFLの歴史上、最も偉大な選手の1人でした」と述べた。

「彼はシカゴの息子でした。彼からは、われわれの素晴らしい街の本質がにじみでており、同時にジョージ・ハラスが選手に求めるもの、つまり、タフネス、スマートさ、本能、情熱、リーダーシップをにじませていたのも、偶然ではありません。彼は自分にも、チームメイトにも、ベストだけを求めました。チーム本部にジョージ・ハラス像を建てることが決まったとき、われわれがセレモニーのスピーチをディックに頼んだのは、彼がパパ・ベアを代弁すると分かっていたからでした」

「ディックには荒々しいところがあり、それが人を遠ざけがちだったかもしれません。しかし、実際の彼は穏やかでした。彼の慈善活動が残したものの中には、このスポーツからのパフォーマンス向上薬の排除や、心臓の健康の促進があります。彼が愛したゲームへの貢献はいつまでも生き続けるでしょう。今年のホーム初戦に彼が来てくれて、最後に多くのファンから祝ってもらえたことに感謝しています」

「ディックの高校時代の恋人であり、60年連れ添った妻であるヘレンに、お悔やみを申し上げます」

バトカスはシカゴに生まれ、フットボールキャリアのすべてをイリノイ州で――最初はシカゴ職業訓練高校のスターとして、次に2度のオールアメリカンの選手として、最後にベアーズのレジェンドとして――送った。

ベアーズで過ごした9年間で、バトカスはオールプロのファーストチームに5回、プロボウルに8回選出されるという栄誉に浴している。キャリア通算インターセプト22回、ファンブルリカバリー27回をマークし、後者のうち1回はタッチダウンにつなげた。キャリア通算テイクアウェイ49回はフランチャイズ史上2位であり、エクストラポイントでキックすることや、キックオフリターンをするときもあった。

NFLで最も恐ろしいタックラーの1人として知られたバトカスは、たゆまぬ歩みによって厳しい時代のフットボールを体現する人物となった。また、プロフットボールの歴史上、最も威圧的なラインバッカーの1人であり、身長190.5cm、体重111.1kgのバトカスは、当時のミドルラインバッカーとしては巨体でもあった。

ベアーズは1965年NFLドラフトの全体3位でバトカスを指名。同じドラフトの全体4位で、こちらも殿堂のメンバーになるランニングバック(RB)ゲイル・セイヤーズも選択している。デンバー・ブロンコスも同じ年のAFLドラフトでバトカスを指名したものの、バトカスはベアーズとの契約時に「ずっとベアーになりたかった」とコメント。当時のチームを率いていたのは、伝説のコーチ、ジョージ・ハラスだ。

結果として、バトカスはベアーズの歴史上、最も愛された選手の1人となった。バトカスがビル・ジョージから引き継いだチームのミドルラインバッカーのレガシーは、やがてマイク・シングルテリー、ブライアン・アーラッカーに引き継がれていく。

すぐにスターとして活躍したバトカスは、インターセプト(5回)でルーキーのトップに立つ。輝かしいキャリアスタートにもかかわらず、この年の最優秀新人賞はセイヤーズのものとなった(当時は攻守の区別なく、単一の賞だった)。

フィールド上で偉業を残したバトカスだが、ハラスが1967年に退任してからのベアーズは苦境に陥り、バトカス引退まで勝率が.500を超えることはなく、キャリアを通じてプレーオフに進出することはなかった。その強固なプレースタイルは健康面にも影響をおよぼし、バトカスは1973年シーズン終了後、右膝の負傷が原因で、31歳でこの競技から去っている。

1971年から1973年まではトータルで37試合にしか出場していないものの、バトカスはフットボールの殿堂の1960年代と1970年代のオールディケイドチームに指名された。ベアーズの選手の中で、バトカスよりもプロボウルに選ばれた回数が多いのはシングルテリー(10回)とウォルター・ペイトン(9回)のみ。バトカスはNFLが100周年を記念して選出したオールタイムチームのメンバーでもあり、かつて着用していたジャージーナンバーである51番は、ベアーズの永久欠番になっている。

バトカスは1979年にプロフットボールの殿堂に迎えられた。1983年にはカレッジフットボールの殿堂にも加わっている。

そのレガシーは、1985年に創設されたバトカス賞としても引き継がれている。この賞は、毎年、プロ、大学、高校における、その年でベストのラインバッカーに贈られるものだ。

現役生活を終えたバトカスは、俳優やアナウンサーとしてスポットライトを浴びている。“Hang Time(ハングタイム)”や“MacGyver(マクガイバー)”、“My Two Dads(マイ・トゥー・ダッド)”、“Half Nelson(ハーフ・ネルソン)”、“Blue Thunder(ブルー・サンダー)”といった番組に出演したほか、ベアーズのラジオアナウンサーを長年務め、『CBS』の番組である“The NFL Today(NFLトゥデー)”のパネリストとしても活躍している。

バトカスの甥であるルーク・バトカスは、グリーンベイ・パッカーズのコーチングスタッフを務めている。さまざまな形でかつてのベアーズを象徴する存在であり続けたバトカスは、試合やスポンサーイベントによく登場した。近年は『Twitter(ツイッター/現“X”)』にもアカウントを開設し、ライバルたちへの敵意――とユーモアのセンス――が失われていないところを見せていた。

バトカスほどこの競技に影響を与えたラインバッカーは、もう現れないだろう。

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