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プロ・フットボール殿堂入り百年祭クラスの13人が発表される

2020年01月16日(木) 02:45


NFLロゴ【Aaron M. Sprecher via AP】

2020年プロ・フットボール栄誉の殿堂センテニアル(百年祭)クラスに加わる残りの13人――10人のシニアと3人の貢献者――が『NFL Network(NFLネットワーク)』の“Good Morning Football(グッドモーニング・フットボール)”でライブ公開されることになっている。これまでに決まっているビル・カウアー、ジミー・ジョンソンに続いての発表だ。15人は、第54回スーパーボウルの前の2月1日(土)にNFL Honors(NFLオナーズ)の中で発表される近代選手5人と共に殿堂入りする。

2020年プロ・フットボール・ホール・オブ・フェイム・センテニアルクラスのメンバーは以下の通り:

ジム・コバート(オフェンシブタックル)、シカゴ・ベアーズ(1983年-1990年)

人々は彼を“ジンボ”と呼んだ。歴代屈指の有名ディフェンスチームの陰に隠れながらも、ジム・コバートはベアーズが第20回スーパーボウルで勝利した際に偉大なるウォルター・ペイトンのために道を切り開いた。2度のオールプロに選出されたコバートは1983年のNFLドラフトで全体6位指名を受けてチーム入りしている。ベアーズの歴代トップ100リストの中でベスト13に入っており、NFLの1980年代オール・ディケイドチームのメンバーにも選ばれている。

ウィンストン・ヒル(オフェンシブタックル)、ニューヨーク・ジェッツ(1963年-1976年)/ロサンゼルス・ラムズ(1977年)

ジョー・ネイマスのバックサイドを長年守り続けたウィンストン・ヒルは4度のAFLオールスター、4度のプロボウルに選ばれた。3度のオールプロにも選出されたレフトタックルの彼は、華麗な15シーズンの間に174戦連続で先発を務めたこともある。テキサス生まれの彼はジェッツの第3回スーパーボウル優勝における重要な歯車だった。

ハロルド・カーマイケル(ワイドレシーバー)、フィラデルフィア・イーグルス(1971年-1983年)/ダラス・カウボーイズ(1984年)

典型的なワイドレシーバーというものがいて、ハロルド・カーマイケルがいる。身長2m3cm、体重102.1kgという体格の持ち主だ。4度のプロボウル、3度のオールプロ、そしてNFLの1970年代オール・ディケイドに選ばれているこの大柄なイーグルは獲得ヤードが1,000ヤードを超えたシーズンが3回あり、イーグルスが1980年に初めてスーパーボウル出場を決めた際の要となった。彼はレシーブ関連のあらゆる統計でトップに立ったままイーグルスでの時代を終えている。キャリア通算は590レシーブ、8,985ヤードを獲得、79タッチダウンを記録した。

デューク・スレーター(オフェンシブタックル)、ミルウォーキー・バッジャーズ(1922年)/ロックアイランド・インディペンデンツ(1922年-1925年)/シカゴ・カーディナルス(1926年-1931年)

フットボールの歴史において変革を起こし、非常に重要な人物であるデューク・スレーターは、リーグクロニクルの中で初めてのアフリカ系アメリカ人ラインマンだった。ボールの両サイドで際立っていたスレーターはオールプロに複数回選出されている。

エド・スプリンクル(ディフェンシブエンド/ラインバッカー)、シカゴ・ベアーズ(1944年-1955年)

NFLのキャリア初期に二刀流の選手だったエド・スプリンクルの評判が真に高まり、残ったのは、彼のディフェンスとしての才能のためだった。積極的な攻めとアグレッシブなプレーで知られたスプリンクルは、1946年のベアーズをNFLチャンピオンシップへと押し上げた。4度のプロボウルに選ばれ、1940年代のオール・ディケイドチームのメンバーに入っている。

スティーブ・サボル(管理者/社長)、NFLフィルムズ(1964年-2012年)

NFLファンに多くを語りかけたスティーブ・サボルは1985年に創設者である父のエドからNFLフィルムズを引き継ぎ、社長に就任した。NFLフィルムズで彼は40以上のエミー賞を獲得しており、NFLフィルムズとして獲得した107のエミー賞を監督した。

アレックス・カラス(ディフェンシブタックル)
、デトロイト・ライオンズ(1958年-1962年、1964年-1970年)

大小のスクリーンでNFL出身者として最も有名な人物の1人であるアレックス・カラスは、映画“ブレージングサドル”やテレビショー“ウェブスター”のような出演作と同様にNFLのフィールド上でも破壊的だった。1958年の1巡指名選手だった彼はライオンズでのキャリアを通して3度のオールプロとNFLの1960年代オール・ディケイドチームに選ばれている。

ボビー・ディロン(セーフティ)
、グリーンベイ・パッカーズ(1952年-1959年)

8シーズンにわたり、パッカーズのディフェンシブバックフィールドでボールホークとして活躍したボビー・ディロンはグリーンベイで52回のインターセプトに成功した。驚くべきことに、彼は1シーズンで9回のインターセプトを決めたことが3回ある。5年連続でディロンはプロボウルに出場し、そのうち3シーズンはオールプロにも選ばれた。

ドニー・シェル(セーフティ)、ピッツバーグ・スティーラーズ(1974年-1987年)

スティーラーズに鉄のカーテンと呼ばれたディフェンスがあった時代、そこには際立って優秀な選手が大勢おり、ドニー・シェルもその1人だった。14シーズンの間、シェルはディフェンシブバックフィールドを巡視し、スーパーボウルで4度の優勝を果たす。そしてプロボウルに5度選ばれ、51回のインターセプトを成功させた。シェルのインターセプト数は彼の引退時にストロングセーフティとしては最多で、現在は32位タイとなっている。

ジョージ・ヤング(貢献者/ジェネラルマネジャー)、ボルティモア・コルツ(1968年-1974年)、マイアミ・ドルフィンズ(1975年-1978年)、ニューヨーク・ジャイアンツ(1979年-1997年)、ナショナル・フットボール・リーグ(1998年-2001年)

当時の最も個性的なNFL幹部であるジョージ・ヤングは、ジェネラルマネジャーを務めた1979年から1997年にジャイアンツの2度のスーパーボウル制覇に大きく貢献した。その後、1998年から2001年までNFLのフットボール運営に携わり、上席副社長を務めた。

クリフ・ハリス(セーフティ)、ダラス・カウボーイズ(1970年-1979年)

1970年代を通して、クリフ・ハリスはチームのディフェンシブバックフィールドで驚異の安定感を見せた。驚くべきことにカウボーイズはハリスのいた10シーズンのうち9回でポストシーズンに進出している。そのうち5回でスーパーボウルに出場し、2度の優勝を遂げた。1974年から6シーズン連続でプロボウルに出場し、キャリア最後の年を迎えたハリスは3度のオールプロに選ばれ、29回のインターセプトと18回のファンブルリカバーを記録した。

マック・スピーディー(エンド)、クリーブランド・ブラウンズ(1946年-1952年)

NFLでの才能にぴったりの名前を授けられたマック・スピーディーは今で言うレシーバーを務めていた。NFLの1940年代オール・ディケイドチームに選ばれた6度のオールプロはレシーブで4回、レシーブヤードで2回リーグのトップに立っている。1947年と1949年には1,000レシーブヤードの壁を越えた。

ポール・タグリアブー(コミッショナー)、NFL(1989年-2006年)

30年にわたりNFLの主要人物であったポール・タグリアブーはリーグを21世紀に導き、チーム数を28から32に拡大した。その間にジャクソンビル・ジャガーズ、カロライナ・パンサーズ、ヒューストン・テキサンズと新生クリーブランド・ブラウンズが誕生している。彼はまたNFLをヨーロッパにも拡大し、9.11やハリケーン・カトリーナといった苦難の時にもリーグのかじを取り続けた。


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