コラム

アロハスタジアムに旋風を - 伊藤玄太(ハワイ大学)

2017年07月24日(月) 05:12


【文 松元竜太郎】


東急東横線・武蔵小杉駅から15分。法政大学へ向かう足取りは軽かった。鮮やかなブルーの人工芝グラウンドを訪れた目的は、5年ぶりに取材する本場米国のカレッジフットボール選手に会うため。ランニングバック(RB)としていったいどれほど進化しているのか。その姿を想像しただけでも、テンションは高まった。

私がフットボールの取材を始めたのが2012年。知人に”おもしろいネタがあるよ”と言われて追いかけていたのが、法政二高だった。ネタの正体は法政伝統のオプション攻撃。自身も法政大で甲子園ボウルに出場した木目田康太オフェンスコーチが中心となって、低迷するチームを改革すべく、この年からオプションを導入していたのだ。オプションの担い手となったのが、後に法政大でもエースとして活躍するQBの鈴木貴史(現アサヒビール)。そして、もう一人が現在はハワイ大学でプレーするRBの伊藤玄太だった。

当時の伊藤の印象はただ一つ。とにかく速い。オープンをまくるスタイルが特徴的なランで、一度独走すると高校レベルで彼を止められる選手はいなかった。この年の神奈川県大会決勝では伊藤がオプションでフィールドを切り裂き、過去3年間一度も勝てなかった慶応高校に雪辱を果たしている。伊藤はどんな性格だったか。プレーは脳裏に焼き付いているのだが、話をしている姿は思い出せない。こちらが質問すると、とてもまじめに受け答えをしてくれた記憶だけが、おぼろげながらよみがえってくる。

高校時代の伊藤について、木目田さんはこう話す。「とても強い意志を感じる選手でした。実は2012年の春は県大会の1回戦で敗退しているんです。それでもチームに危機感はありませんでした。主将の高橋悟(現富士通)と副将の玄太は、本当に勝ちたいんだという気持ちを訴えてくれた。その時の彼の実直な姿を見て、オフェンスコーチとして最後にボールを託すのはこいつだなと思いました」

事実、木目田さんは伊藤にボールを託している。引退試合となった秋の関東大会準決勝、中大付属との一戦。試合は中大付属が接戦を制するのだが、法政二高のツーミニッツオフェンスで、第4ダウン4ヤードという絶体絶命のピンチがあった。この状況では10人中9人がパスをコールすると思うが、木目田さんは伊藤のせまいサイドへのピッチスイープをコール。伊藤はその期待に応えて、見事にファーストダウンを獲得した。「今思い返してみても、何であのプレーをコールしたのか説明できません」と木目田さんは笑う。しかし、”最後にボールを託せるのはこいつしかいない”。その思いが無意識に伊藤のランを選択させたのかもしれない。

<後編に続く:開幕ロースター入りを目指す日本人RB – 伊藤玄太(ハワイ大学)

まつもと・りゅうたろう

松元竜太郎
1982年生まれ
慶大卒。富士通を経て、2009年に共同通信社入社。2012年にアメフト情報サイト『週刊 TURNOVER』を立ち上げ、2015年に アメフト専門誌『アメリカンフットボールマガジン』復刊に尽力。現役時代はDBとしてプレーした。国内のフットボールを幅広く取材している。