コラム

開幕ロースター入りを目指す日本人RB - 伊藤玄太(ハワイ大学)

2017年07月24日(月) 05:14


【文 松元竜太郎】


<前編:アロハスタジアムに旋風を – 伊藤玄太(ハワイ大学)

2013年10月、伊藤玄太は渡米した。

「アメリカでフットボールがしてみたい」

伊藤の中でわきあがる気持ちが、背中を押した。翌年、2年制公立大学であるサンタモニカカレッジに入学して、フットボール選手としての挑戦を本格的にスタートさせた。ここ数年、レベルはさまざまだが、米国でフットボールをプレーする選手は確実に増えている。彼らの多くと異なるのが、伊藤はNFLを目指していないということだ。「NFLのこと、あまり知らないんです。選手も分からない。僕はカレッジのファンで、アメリカの大学でフットボールがプレーしたいだけなんです」と伊藤は語る。米国でも多くの選手がそうであるように、伊藤はジュニアカレッジ(短大)からNCAA1部の大学への編入を目指すルートを選んだ。

167センチ、58キロ。高校2年時の伊藤の体格は一般人の平均体重と変わらなかった。3年生の時には60キロ台になったが、とても米国でフットボール選手と胸を張れるサイズではなかった。サンタモニカカレッジで伊藤が受けた扱いは、ある意味で予想されたものだった。チームから支給されるはずの道具がもらえない。ロッカーもない。伊藤はロースター(試合に出場するための登録枠)を争う以前に、選手の一員とみなされていなかった。戦力外となった他の米国人たちは、この時点でチームを去った。だが、伊藤はあきらめなかった。一人だけグラウンドで着替えて、道具は友人に借りた。石にかじりついてでもチームに残る覚悟だった。周りは誰も伊藤のことを気にもとめていなかったが、「アメリカまで来て、何もせずに帰るわけにはいかない」と、練習に食らいついていった。

何とかチームの一員として認められた伊藤は、1年目をレッドシャツ(練習生)として過ごす。2015年、2年目のシーズンに入ると、明らかにコーチの見る目が変わった。試合出場の機会も増えていき、RBとしてアピールできるようになった。2016年7月18日、NCAA1部、ウェスタン・アスレティック・カンファレンス(WAC)に所属するハワイ大学から伊藤のもとにオファーが届いた。すぐに家や車を処分して、1週間後の7月24日にはハワイに飛んだ。米カレッジの1部校でプレーするという夢を、大きく手繰り寄せたかに思えた。

だが、ここでも厳しい現実が待っていた。伊藤は全くプレーの機会を与えてもらえなかったのだ。サンタモニカカレッジでの1年目の記憶がフラッシュバックした。伊藤は当時の悔しさを思い出すようにこう話した。「ハワイ大学が僕にオファーをくれたのはビジネス目的だったんです。日本人が所属しているというだけで、いろいろ注目されるので・・・」

実際、伊藤はハワイ大学を訪れた初日に、ファンだという米国人からサインを求められたという。チームメートもみな、伊藤の存在を知っていた。現地の新聞報道などで、伊藤の存在はそれなりに有名だった。

当初、戦力としては期待されていなかった伊藤だが、ハワイ大学での評価はすぐに変わることになる。ベンチプレス160キロ。スクワット200キロ。40ヤード走4秒5のスピードを維持しながら、昨年の時点で体重を88キロまで増やした伊藤のフィジカルは、米カレッジのRBとしても堂々たるものだった。高校時代と比較すると、実に30キロものサイズアップに成功していたのだ。1カ月もすると伊藤の実力がコーチ陣やチームメートに認められ、ディフェンスチームの仮想敵役として奮闘した。「秋シーズンにけがで少しだけ練習を休んだことがありました。その時に”ゲンタ、お前がいないと練習できないから、早く戻ってきれくれと”とディフェンスコーチに言われて。その時、ここでもチームの仲間として認められたと実感しました」と伊藤は振り返る。

秋のロースターは105人。そして、アロハスタジアムで行われるホームゲームでは80人ほどの選手がユニフォームをもらうことができる。その中で、RBとしてユニフォームを着ることができるのはわずかに3人ないし4人だ。昨年、伊藤はロースターに入るチャンスがあった。キッキングだけなら出場させると、コーチからお墨付きをもらっていたからだ。しかし、伊藤はこれを拒否してサンタモニカの1年目と同様に、練習生として過ごした。「僕はRBとしてプレーしたいんです。貴重な1年を無駄にしたくない」という伊藤のRBへの強いこだわりだった。

「高校からフットボールを始めて、ハワイ大学でプレーしている今が一番楽しい」と伊藤は断言する。チーム内にNFLへのドラフト指名が確実視されている選手がいるなど、フットボールのレベルが高いこともある。Xリーグに参戦している多くのハワイ大学出身の選手やコーチがそうであるように、陽気なアイランダーの気質も伊藤には合っているようだ。だが、何より夢に向かってフットボールに没頭している現在の状況こそが、伊藤に何ものにも変えがたい充足感をもたらしている。

昨年、UCLAのオフェンスライン(OL)庄島辰尭が公式戦に出場を果たし、「日本人で初めてNCAA1部でプレーした」と話題になった。リーグのレベルは違うが、伊藤がRBとして公式戦に出場すれば、「スキルポジションでの日本人初」となる。原則として出場が1人であるRBの競争は熾烈だ。

RBとしてロースターに入り、アロハスタジアムでプレーする。伊藤がその夢をかなえられるかどうかは、これから本格的に始まっていく、サマーキャンプのサバイバルレースで決まる。4年前に海を渡った少年は立派なカレッジフットボール選手へと成長した。ハワイ大学のホーム開幕戦は現地時間9月2日にアロハスタジアムで行われる。グリーンとホワイトのジャージーに袖を通した小さなRBが、フィールドに立っていることを祈っている。

まつもと・りゅうたろう

松元竜太郎
1982年生まれ
慶大卒。富士通を経て、2009年に共同通信社入社。2012年にアメフト情報サイト『週刊 TURNOVER』を立ち上げ、2015年に アメフト専門誌『アメリカンフットボールマガジン』復刊に尽力。現役時代はDBとしてプレーした。国内のフットボールを幅広く取材している。