ファーブが脳障害への恐怖を告白
2018年04月22日(日) 09:45これまでも取り上げてきたように、脳しんとうや何度も脳しんとうを経験することでタウというタンパク質が異常な構造に変化して蓄積し、記憶障害や認知障害、抑うつなどの進行性の症状を引き起こす慢性外傷性脳症(CTE)の問題は依然解決には至っておらず、NFLや現役、元選手の間で大きな問題となり続けている。
そんな中、1人のレジェンドが自らの脳しんとう体験とCTEへの恐怖を告白し、さらなる衝撃を与えることとなった。
ブレット・ファーブだ。
ファーブは1991年にファルコンズにドラフト2巡指名で入団し、翌年パッカーズにトレードされるとその才能を一気に開花させた。先発クオーターバック(QB)としてチームを牽引し、1996年シーズンには第33回スーパーボウルを制している。その後、ジェッツとバイキングスでもプレーし、2010年シーズンを最後に現役引退した。1995年から1997年の3年連続でMVPを受賞、プロボウルには11回選出され、2016年には殿堂入りを果たしたスター選手だった。
そのファーブがテレビ番組『ミージン・ケリー・トゥデー』にビデオ出演し、自分のキャリアを「神の祝福と呪いの一種」と表現し、彼と彼の家族に「多くの喜び」を与えてくれたものの、いつ悪化するか分からない神経的障害につながる恐怖も生んでいると話したのである。
ファーブはNFL記録の297試合連続出場などタフな選手としても有名だった。その点について彼の脳と身体が「より大きなダメージ」を受けなかったことは「幸運だったと思う」と話す一方で、「半年前に会った誰かのような、短期記憶が悪化していることを感じる。会話中に簡単に出てくるべきシンプルな言葉が自分を苦しめるんだ」と語っている。
48歳のファーブはそうした物忘れは老化によるものかもしれないとしつつ、「そうなのか、CTEの初期段階なのか。分からない。それが分からない」と恐怖心を明らかにした。
ファーブ自身が受け取った公式な脳しんとうの診断は3、4回だけだったという。しかし、「われわれは脳しんとうについて学んでいる。フットボールやその他のスポーツで使われる言葉がある。“ふらついた”だ。映画“コンカッション”のモデルとなり、(CTEを発見した)オマル博士は“ふらついた”は脳しんとうだと話している。耳鳴りがしたり、星が見えたりしたら、それは脳しんとうだ。それが脳しんとうなら、キャリアを通じて何百も、多分何千回も経験した。それが恐ろしい」のだという。
「明日とても健康かもしれないが、自分が誰でどこに行くか分からないかもしれない。一晩で起こるかもしれない。劇的に進行しないのは分かっている。でも恐ろしいことだ。物理的に気をつけることではないし、コントロール不能な自分の将来の一部だということがとても怖い」と率直に語った。
実際、ファーブは早い段階からケガに苦しんでいた。スーパーボウルを制した1996年には過度の鎮痛剤使用によって中毒になり、リハビリ施設に46日間入り、1年間の禁酒を命じられたこともあった。また脳しんとうについては2009年にも「たくさん」あったと話し、2013年には記憶障害があるとインタビューで語っている。
同番組にはラムズやカーディナルスでプレーし、やはり殿堂入りしている元QBカート・ワーナーや元女子サッカーアメリカ代表で、国際試合で184得点の記録を持つワビー・ワンバックなども出演していた。その中でワーナーは現役当時、「出場するためにはなんでもやる」という雰囲気があり、脳損傷の可能性が高かったと指摘し、大学やプロでの初期に控えだったことは幸運だったと話している。
一方、ワンバックは何度も脳しんとうを経験したことを明かし、自分が死んだら研究のために脳を寄付するつもりだと話した。実はこのワンバックの意志とファーブの恐怖にはCTEについての大きな課題が浮かび上がっている。現在CTEの診断は亡くなった人の脳を取り出して検査するしかないのだ。血液検査で診断する方法の研究なども行われているが、まだ確立していない。
今年の初め、もし孫がフットボールをすることを選んだら「サポートするだろう」と語っていたファーブだったが、今回は「自分に息子がいたら、フットボールをすることを強くやめさせるだろう」と話している。NFLのみならずフットボール、さらにはスポーツにとってこの問題がいかに深刻なのか、それが改めて認識させられる一件となった。
また、ファーブがマンデーナイトフットボールの放送チームに加わるためのオーディションに落ちたとの報道が出ているが、今回の告白が影響したかは分かっていない。
わたなべ・ふみとし
- 渡辺 史敏
- 兵庫県生まれ
ジャーナリスト兼NFLジャパン リエゾン オフィスPRディレクター。1995年から2014年3月までニューヨークを拠点にアメリカンフットボールやサッカーなどスポーツと、さらにインターネット、TV、コンピュータなどITという2つの分野で取材・執筆活動を行う。2014年4月に帰国、現職に。『アメリカンフットボール・マガジン』、『日刊スポーツ電子版連載コラム:アメリカンリポート』、『Number』などで執筆中。