元NFL選手がXFLコミッショナーに就任
2018年06月18日(月) 00:32現地6月5日(火)、プロレス団体WWEの会長兼CEOを務めるビンス・マクマホン氏が2020年の復活を目指しているプロリーグXFLのコミッショナー兼CEOに元NFL選手のオリバー・ラック氏が指名された。ラック氏は7月から活動を開始する見込みだ。
ウエストバージニア大学出身でクオーターバック(QB)だったラック氏は1982年のドラフトでヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)から2巡指名を受けて入団している。ただ、この年はストライキによる短縮シーズンとなったこともあり、1度も出場することはなかった。1983年シーズンは先発の座をつかみ、6試合に先発して8タッチダウンを挙げたものの、13インターセプトをくらって控えに降格された。1984年にはCFLのスターQBだったウォーレン・ムーンの入団も関係して控え生活が続き、結局、1986年いっぱいで現役を退いている。キャリアとしては20試合に出場、413回のパスで233回成功、2,544ヤード獲得、13タッチダウン、21インターセプトを記録した。
とはいえ、ラック氏とNFLとの関わりはむしろ引退後に深くなる。現役を退いた後にテキサス大学で法務博士号を授与されたラック氏は政治活動などをした後、1991年にNFLがアメリカンフットボールの普及のために北米とヨーロッパに設立した下部プロリーグ、WLAF(ワールドリーグ・オブ・アメリカンフットボール)、後のNFLヨーロッパでフランクフルト・ギャラクシーのジェネラルマネジャー(GM)に就任した。WLAFは2年間で活動を休止したが、1995年に復活した際、ラック氏はライン・ファイヤーのGMに就き、さらに翌年にはリーグの社長となって2000年まで同職でNFLとの関係強化に努めた。
2001年にはヒューストン・スポーツ局のCEOとなり、以降、テキサンズの本拠地リライアント・スタジアムの建設などに関わっている。2005年にはメジャーリーグサッカー(MLS)ヒューストン・ダイナモの社長に就任し、2008年に母校ウエストバージニア大学のスポーツディレクター、さらには2014年にはNCAA(全米体育協会)の副社長となった。
今回、NCAAの実質ナンバー2という地位を捨てての転職に関してラック氏は「カレッジスポーツは好きだが、これは特別な機会だ。フットボールには本当に情熱を持っている。ビンスとコラボレーションする機会は素晴らしい。彼は成功実績がある素晴らしい起業家だ」とコメントしている。
一方のXFLだが、2001年にWWEとテレビネットワークNBCが共同設立し、プロレス流の派手な演出を取り入れた“リアルフットボール“がキャッチフレーズだった。開幕当初は注目を集めたものの、プレーの質の低さもあって人気は低迷、1シーズン限りで消滅した経緯がある。今年1月、マクマホン氏が個人で復活を宣言し、2020年のスーパーボウル直後の開幕を目指している。8チームで構成され、10週に渡るレギュラーシーズンの後、4チームがプレーオフに進出し、準決勝とチャンピオンシップを行うとしている。
予算は1億ドル以上とされ、マクマホン氏はリーグ復活にWWEの株を1億ドル分売却して資金調達を開始した。また、8チームのフランチャイズを選考するため、30都市に提案依頼書を発送したとのことだ。
ラック氏は設立準備に関して「自分にとって重要な要素は、十分な設立資金があり、長期的なアプローチでハイクオリティなコーチングスタッフを集めることだ」と語っている。また、「選手の健康と安全のために最先端にある」べく近く医療諮問委員会を組織するともした。
ただ、こうしたラック氏とマクマホン氏たちの動きはすんなりとはいかないかもしれない。テレビプロデューサーのチャーリー・エバーソル氏がXFLよりも1年早い、2019年に同じスーパーボウル後に開幕するとするプロリーグのプロフットボール・リーグ、アライアンス・オブ・アメリカンフットボール(AAF)の設立を発表しているからだ。
同じく8チームで構成されるとするAAFはすでにサンディエゴ、アトランタ、オーランド、メンフィス、ソルトレークシティ、フェニックス、バーミンガムという7都市にチームを置くことを発表している。これらの都市にXFLがチームを置くことは難しいと見られる。
「フットボールがない」スーパーボウル後の春季にプロリーグが成立するビジネスチャンスは幾度もささやかれてきた。果たしてXFLが狙い通り復活し、成功できるかラック氏の手腕が問われる。
わたなべ・ふみとし
- 渡辺 史敏
- 兵庫県生まれ
ジャーナリスト兼NFLジャパン リエゾン オフィスPRディレクター。1995年から2014年3月までニューヨークを拠点にアメリカンフットボールやサッカーなどスポーツと、さらにインターネット、TV、コンピュータなどITという2つの分野で取材・執筆活動を行う。2014年4月に帰国、現職に。『アメリカンフットボール・マガジン』、『日刊スポーツ電子版連載コラム:アメリカンリポート』、『Number』などで執筆中。