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NFLオナーズで7人が2024年プロフットボールの殿堂メンバーに

2024年02月09日(金) 23:39

NFL Honors(NFLオナーズ)【AP Photo/David J. Phillip】

第58回スーパーボウルを数日後に控えたラスベガスで、現地8日(木)の夜に2024年のプロフットボールの殿堂メンバーが発表された。

新たに殿堂入りしたメンバーは下記の通り。

ドワイト・フリーニー
リーグで最も恐れられたパスラッシャーの1人であるドワイト・フリーニーは、エッジからのスピードとインディアナポリスの速度の上がるターフとが相まって、殿堂入りの資格が生じて2年目にしてカントンへ向かうことになった。2000年代のコルツは殿堂入りしたクオーターバック(QB)ペイトン・マニングが率いるハイパワーな攻撃陣でよく知られているが、フリーニーはそれと同じくらい、他のAFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)のライバルたちに脅威を与えた守備陣のカギとなる存在だった。フリーニーはルーキーだった2002年から爆発力を発揮し、サック13回、リーグトップのタックルフォーロス20回と、ファンブルフォース9回を記録。そのシーズンから4年連続でサック2桁を決めており、2004年にはリーグトップのサック16回という数字を残した。フリーニーは恐ろしいスピンムーブによって相手オフェンシブラインマンを混乱させ、プロボウルに7回、オールプロに3回選ばれている。

デビン・ヘスター
リーグ史上、ボールを持ったときに最もダイナミックな選手の1人に挙げられるヘスターは、これまでに3度、殿堂入りのファイナリストに入っていたが、この木曜日の夜に、ついに待ち続ける時間は終わった。ヘスターはリーグの歴史の中で、最も成功を収めたリターナーとしてカントンへ向かう。最多記録であるパントリターンタッチダウン14回のほかに、キックオフリターンタッチダウン5回、さらに、もう1回のリターンタッチダウンを加え、合わせてリターンタッチダウン20回を数えるヘスター。よりシンプルに紹介すると、3度のオールプロファーストチーム選出、4度のプロボウラーであるヘスターは、キックリターンに控えているときには常に、厄介な相手だったということだ。最も記憶に残る瞬間は、この競技において最も大きな舞台でやってきた。ヘスターは第41回スーパーボウル開幕のキックオフでリターンタッチダウンを決め、最終的には王者になるインディアナ・コルツと対峙するシカゴ・ベアーズに、序盤のリードを与えた。レシーバーとしてもインパクトを与え、キャリアを通じてキャッチ255回、3,111ヤード、タッチダウン16回をマークしている。

アンドレ・ジョンソン
ヒューストン・テキサンズ在籍時、QBのポジションが安定しない中、ワイドアウトたちが席巻する時代において、ジョンソンは同世代で最高のワイドアウトの1人としての地位を確率した。ジョンソンは14年のキャリアの中で、7シーズンにおいて1,000ヤード超えを達成。3シーズンは1,500ヤードを超えている。テキサンズの歴史上、最も成功を収め、最も祝福された選手の1人であるジョンソンは、2003年NFLドラフトの全体3位で自分を指名したテキサンズの地元で愛され、14年をそこで送っている。2年目にして早くもプロボウルに選出されるインパクトを残したジョンソンは、2008年と2009年にリーグトップのレシービングヤードをマーク。それぞれの年に、キャリア2度のオールプロ選出を果たした。キャリア通算キャッチ1,062回、タッチダウン70回をマークしたジョンソンは、同世代で最も恐れられた選手の1人として、資格を得て3年目でカントンの仲間入りをする。

ジュリアス・ペッパーズ
ノースカロライナ大学で2つのスポーツのスターだったジュリアス・ペッパーズは、恵まれた体格とすぐれた運動能力の組み合わせによって、すぐにNFLで最高のパスラッシャーの1人に成長した。カロライナ・パンサーズでプレーした12試合で、サック12回、ファンブルフォース5回、インターセプト1回を記録した2002年に、守備部門年間最優秀新人賞を獲得。その年を含む9シーズンで。サック10回以上を決めている。QBテイクダウンでリーグのトップに立つことはなかったものの、その安定性は、パンサーズ時代に記録したフランチャイズレコードの97回を含む、歴代4位のサック159.5回をマークしての引退につながっている。また、ペッパーズはサック150回以上とインターセプト10回以上(うち4回はリターンタッチダウン)をマークした唯一の選手でもある。輝かしい経歴(オールプロのファーストチームに3度選出)と、活躍した期間の長さ(パッカーズ所属時のキャリア14シーズン目にプロボウル選出)が、資格が生じた初年度での殿堂入りをうながした。

パトリック・ウィリス
パトリック・ウィリスのキャリアは平均的な現代の殿堂入りメンバーほど長くは続かなかったものの、そのインパクトと偉大さは決して否定できない。サンフランシスコ・49ersで過ごした8シーズンで、オールプロのファーストチームに5回選ばれたほか、プロボウルには7度指名された。脅威のタックル174回をマークした2007年に、守備部門年間最優秀新人賞を受賞。8シーズン中6シーズンで、タックル100回以上を記録した(1年は97回、ほかの1年は負傷によって6試合出場にとどまる)。ジム・ハーボーが49ersのヘッドコーチになった2011年には、NFL界の多くの人々がウィリスの華々しいプレーを目撃することになる。ウィリスは3年連続でNFCタイトル戦にたどりつく原動力となった支配的なディフェンスの一つの柱となった。おそらくはそのキャリアの長さに起因して、ウィリスは5回分の選考プロセスを待つことになったが、ついにその名がカントンに迎えられた。

ランディ・グラディシャー
同世代の中で抜きん出たラインバッカーの1人だったランディ・グラディシャーは、1970年代から1980年代序盤までを席巻したデンバー・ブロンコスの“オレンジクラッシュ”ディフェンスを率いている。グラディシャーは10年のキャリアのすべてをブロンコスで送り、プロボウルに7度、オールプロのファーストチームに2度選ばれた。2003年と2008年に現代部門のファイナリストだったグラディシャーは、シニアのファイナリストからカントンに迎えられる。2020年のセンテニアル(百年祭)クラスのシニア部門ファイナリストでもあった。1983年に引退した際、グラディシャーはタックル2,049回という記録でブロンコスの歴代リーディングタックラーだった。さらに、サック19.5回、インターセプト20回、ファンブルリカバリー13回、ディフェンシブタッチダウン4回も記録している。ベストシーズンは守備部門年間最優秀選手に選ばれた1978年で、その前年にはブロンコスがチーム初のスーパーボウル出場を果たす一助となっている。

スティーブ・マクマイケル
テキサスからやってきたロングヘアーのタフガイである“モンゴ”ことスティーブ・マクマイケルは、シカゴが最も愛した選手の1人。シニアファイナリストだったマクマイケルが今、殿堂の一員となった。1980年ドラフトの3巡目でニューイングランド・ペイトリオッツに指名されたマクマイケルは、後にシカゴ・ベアーズの主力選手となり、やがてNFLで最も偉大で、最も尊敬されるチームの一つ、ベアーズの1985年スーパーボウル優勝チームの中で傑出した存在になっていく。2度のプロボウラーであり、オールプロに2度指名されたマクマイケルが、最初にプロボウルに選出されたのは、その1985年シーズンのことだった。ライバルたちを蹂躙(じゅうりん)して第20回スーパーボウルへと突き進んだベアーズ46ディフェンスの象徴的な存在だったマクマイケル。際立ったパスラッシュが持ち味のインテリアディフェンシブラインマンであり、15シーズンでサック95回、タックル847回、ファンブルフォース13回をマークしている。13シーズンはシカゴで、ニューイングランドとグリーンベイで1シーズンずつを送り、1994年に引退した。7シーズンでサック8回以上をマークしており、これはディフェンシブタックルの中で2番目に多い。2021年、マクマイケルはALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受けたことを公表。今も闘病を続け、今回の受賞に至っている。

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