ロン・リベラHCが自らプレーコール担当でパンサーズはどう変わる?
2019年08月25日(日) 08:16パンサーズは2015年シーズンのスーパーボウル出場のあとプレーオフ進出とレギュラーシーズンでの敗退を繰り返している。2002年に創設されたNFC南地区で唯一の3年連続地区優勝を果たしたパンサーズが、最近ではセインツにディビジョンの主導権を奪われ、影が薄い。
昨年はオフェンスの核であるクオーターバック(QB)キャム・ニュートンが肩を負傷し、20ヤード以上のパスが投げられないという状況下での戦いを強いられた。今季もセインツの圧倒的有利を言われる中でチーム内のヒエラルキーに変化が起こった。それは、ヘッドコーチ(HC)のロン・リベラ自らがディフェンスのプレーコールをするということだ。
リベラは2011年にパンサーズのヘッドコーチに就任した。それまでは選手時代に活躍したベアーズやチャージャーズでディフェンスのアシスタントコーチを務めていた。ディフェンスのプレーコーラーとしては実績のあったリベラだが、パンサーズの最高指揮官に就いてからはチーム全体の管理を優先し、ディフェンスの具体的なゲームプランやプレーコールは守備コーディネーターにゆだねてきた。
ところが昨年、前半のパンサーズディフェンスが不振だったことからシーズン途中でプレーコールの権利をエリック・ワシントン守備コーディネーターからはく奪し、自らが行うことにした。それをきっかけにディフェンスは改善を見せた。
リベラのプレーコールが一定の成果を生んだことでパンサーズは今季もそれを継続することにしたのだ。ちなみにワシントンは同職にとどまっており、ゲームプランニングに権限を持っている。
トレーニングキャンプでのリベラは昨年までと違い、ディフェンスユニットに帯同する時間が増えたそうだ。ディフェンスミーティングにはすべて出席し、ラインバッカー(LB)ルーク・キークリーら中心選手らとコミュニケーションを密にした。一方でワシントンやそのほかのアシスタントコーチの領域には踏み込まないように細心の注意を払う気配りも忘れていないという。
ヘッドコーチであるにもかかわらず、専門分野であるディフェンスにここまで集中できるのはノーブ・ターナー攻撃コーディネーターの存在が大きい。言うまでもなくターナーは90年代初めにカウボーイズがスーパーボウルで優勝したころの攻撃コーディネーターでオフェンスコーチとしての実績は申し分ない。またレッドスキンズやチャージャーズでのHC経験もある。ちなみにターナーがチャージャーズのHCだった時の守備コーディネーターがリベラだった。
リベラはかつての上司であるターナーに全幅の信頼を置いており、HC経験も豊富なことからチーム全体をスーパーバイズする役割を分担することにしたのだろう。それによってターナーも自分のフィロソフィーにあったオフェンスを構築しやすいし、チームでの発言権も強くなる。
コーディネーター出身のHCが自らプレーコールをして成功する例は少なくない。近年ではラムズのショーン・マクベイがそうだ。もっとも、マクベイが成功した背景には守備コーディネーターにディフェンス戦略構築で定評のあるウェイド・フィリップスが就任している事実は見逃せない。フィリップスもターナー同様にコーディネーター/プレーコーラーとしての実績だけでなくHCとしての経験も豊富だ。若く、NFLで初めてHCを経験したマクベイにとっては頼りになる存在だ。
NFLのコーチのなかではコーディネーターとしては優秀だがHCには不向きな者が意外と多い。筆者の意見ではターナーやフィリップスもこの部類に入るのだが、HCという職責を維持しながら得意分野で能力を発揮し、それ以外の分野は実績あるコーディネーターに権限を与えるというのは新たなコーチングスタイルだ。
30歳代から40歳代のHCが当たり前のように誕生し、HC経験のあるアシスタントコーチが数多いる現代のNFLだからこそのコーチングかもしれない。有能だったコーディネーターがHCとなったとたんに繁忙な業務に時間をとられて本来の能力を発揮できないくらいなら、アシスタントコーチにより大きな権限を与えて、HC自身は得意分野に注力するというのも悪くない。
今季のパンサーズがどういう成績を残すかにもよるが、HCが自分の得意分野により力を注ぐというコーチングスタイルは見直されてもいいのかもしれない。
いけざわ・ひろし
- 生沢 浩
- 1965年 北海道生まれ
ジャパンタイムズ運動部部長。上智大学でフットボールのプレイ経験がある。『アメリカンフットボールマガジン』、『タッチダウンPro』などに寄稿。NHK衛星放送および日本テレビ系CSチャンネルG+のNFL解説者。著書に『よくわかるアメリカンフットボール』(実業之日本社刊)、訳書に『NFLに学べ フットボール強化書』(ベースボールマガジン社刊)がある。日本人初のPro Football Writers Association of America会員。