元NFLアシスタントコーチのコトレル、マッキトリック、ウェストホフがアワーズ・オブ・エクセレンス受賞へ
2026年03月24日(火) 11:58
3-4スキームの革新者、サンフランシスコ・49ersで5度のスーパーボウル制覇を成し遂げた功労者、そして多大な影響力を持ったスペシャルチームコーチ。2026年度の“Awards of Excellence(アワーズ・オブ・エクセレンス)”プログラムにおいて、アシスタントコーチ部門から3名が表彰されることになった。
5回目の実施となるこのプログラムで栄誉を手にするのは、テッド・コトレル、ボブ・マッキトリック、マイク・ウェストホフだ。今回の選出により、5年間で表彰されたアシスタントコーチは計17名にのぼる。
3人のキャリア、および今年度の他の受賞者を称えるカクテルディナーと授賞式ランチは、6月24日から25日にかけてカントンで開催される。表彰対象はアシスタントコーチ、アスレチックトレーナー、広報ディレクター、備品マネジャー、映画/映像ディレクターの各部門だ。
全5部門のうち3部門の受賞者がすでに発表されており、残る映画/映像ディレクター部門の選出結果も間もなく公開される予定だ。今年度の受賞者には、広報ディレクター部門からスコット・ベルヒトールド、ジム・ギャラガー、リー・レンメル、備品マネジャー部門からレッド・バティ、マイク・デビッドソン、ジャック・ノエル、そしてアスレチックトレーナー部門からエドワード・“エイブ”・アブラモスキ、ケント・ファルブ、マイケル・ライアンが名を連ねている。
テッド・コトレル
6チームを渡り歩いたNFLでの24シーズンにおいて、コトレルは守備の3-4スキームの革新者としての地位を築いた。ディフェンシブライン(DL)コーチ、ラインバッカー(LB)コーチ、そして守備コーディネーター(DC)を歴任する中で、コトレルは数多くの殿堂入り選手を育成。その中には、2009年の殿堂入り式典でコトレルがプレゼンターを務めたブルース・スミスも含まれている。
通算サック200回というNFL歴代最多記録を持つスミスは、「彼は私が選手としての完成形へと成長するのを助けてくれた恩人だ」と語っている。1980年にラトガーズ大学でDCを務めた後、コトレルは殿堂入りヘッドコーチ(HC)であるマーブ・レビーに招かれ、カンザスシティ・チーフスでLBコーチに就任。これが彼にとってNFLでの最初のキャリアとなった。その後、ラトガーズ大学への復帰やUFLでの活動を経て、1986年にレビーがバッファロー・ビルズのHCに就任すると、かつての恩師と合流。さらに、フェニックス(後のアリゾナ)・カーディナルスで1990年から1993年にかけてDLコーチ、1994年にはLBコーチを歴任した後、再びLBコーチおよびDCとしてビルズに帰還した。
2001年、コトレルはニューヨーク・ジェッツのアシスタントヘッドコーチ兼DCに就任。そこでヘルマン・エドワーズの4-3スキームを改良した上で導入した。この布陣は、その後のミネソタ・バイキングス(2004年から2005年)やサンディエゴ・チャージャーズ(2007年から2008年)でのDC職でも引き継がれ、複数の陣形を駆使して守備を構築した。
ボブ・マッキトリック
49ersでオフェンシブライン(OL)コーチとして過ごした21年間で、チームは5度のスーパーボウル制覇(第16回、第19回、第23回、第24回、第29回)と、13度のNFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)西地区優勝を成し遂げた。マッキトリックは、49ersが勝ち取った5回すべてのスーパーボウル優勝に立ち会った4人のコーチのうちの一人だ。
1956年にオレゴン州立大学ビーバーズの攻守兼任スターターとしてパシフィック・コースト・カンファレンス優勝に貢献した後、マッキトリックはアメリカ海兵隊の将校として3年間服務した。1961年にフットボール界へ戻ると、1961年から1964年までオレゴン州立大学でLBおよびタイトエンド(TE)のコーチを務め、その後カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のDCに就任。さらにロサンゼルス・ラムズ(1971年から1972年)やチャージャーズ(1974年から1978年)でOLコーチを務めた後、49ersに加わった。
殿堂入りHCのビル・ウォルシュによって創設された“Bobb McKittrick Award(ボブ・マッキトリック賞)”は、この希代の名将が示した献身、卓越した手腕、そしてコミットメントを最も体現した49ersのOL選手に毎年贈られている。
「(マッキトリックは)5度のスーパーボウル制覇、王朝の進化、そしてフットボール界における最高級のオフェンシブラインマンたちの育成において不可欠な存在だった」とウォルシュは語っている。
マイク・ウェストホフ
スペシャルチーム(ST)コーチとして絶大な影響力を持ったウェストホフは、NFLで33シーズンを過ごした。AFC(アメリカン・フットボール・カンファレンス)東地区を主戦場とし、マイアミ・ドルフィンズとニューヨーク・ジェッツの両チームで長期にわたり手腕を振るった。
1986年から2000年までドルフィンズでSTおよびTEコーチを務めた後、2001年にSTコーチとしてジェッツのスタッフに加入。2008年までその職にとどまったが、左足の骨移植片のひび割れにより、それ以降は特定の役職を置かずにチームを支えた。最終的に2012年までジェッツに在籍している。
2017年、ウェストホフはシーズン途中にショーン・ペイトン率いるニューオーリンズ・セインツのスタッフにSTコーチとして加わり、2018年シーズン終了までその職を務めた。2023年には現役復帰を果たしてデンバー・ブロンコスで再びペイトンと合流し、アシスタントヘッドコーチに就任。その後、2024年に再び引退を表明した。ブロンコスでは、STコーディネーターのベン・コトウィカや、セインツ時代にウェストホフの下でSTの主力として活躍したアシスタントSTコーディネーターのクリス・バンジョーと共に、緊密な連携を図った。
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