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タイタンズのカラーアナリストで元カーディナルスHCのデイブ・マクギニスが逝去、享年74

2026年04月14日(火) 11:11

デイブ・マクギニス【NFL】

“コーチ・マック”の愛称で親しまれていたデイブ・マクギニスが闘病を経て現地13日(月)に逝去したことをテネシー・タイタンズが発表した。アリゾナ・カーディナルスでの4シーズンを含め、NFLで30年間コーチを歴任してきたマクギニスは、タイタンズのラジオアナリストを長年にわたって務めていた。享年74。

2000年にビンス・トビンの後任としてカーディナルスの暫定ヘッドコーチ(HC)に就任した後、マクギニスは2003年シーズンまで同チームでフルタイムのヘッドコーチを務めていた。

カーディナルスのオーナーであるマイケル・ビッドウィルは、ヘッドコーチとして17勝40敗の成績を残したマクギニスについて、声明で次のように述べている。

「デイブ・マクギニスの訃報に接し、深い悲しみに包まれています。彼を知り、愛したすべての人々に心よりお悔やみを申し上げます。デイブはしばしば自分のことを“ボールコーチ”と呼んでいましたが、その役割をあれほどの情熱、熱意、カリスマ性を持って体現した人は他にいませんでした。コーチ・マックはこのスポーツそのものと、それに関わるあらゆるものやすべての人、特に選手たちを心から愛していました。彼は唯一無二の存在であり、深く惜しまれることになるでしょう」

カーディナルスのヘッドコーチを務める前に、ラインバッカー(LB)コーチや守備コーディネーター(DC)として経験を積んだマクギニスは、シカゴ・ベアーズ(1986年から1995年までLBコーチ)、カーディナルス(1996年から2000年までDC、2000年から2003年までHC)、タイタンズ(2004年にLBコーチ、2005年から2011年までLBコーチ兼アシスタントヘッドコーチ)、セントルイス/ロサンゼルス・ラムズ(2012年から2016年までアシスタントヘッドコーチ)に所属していた。

マクギニスは2017年にタイタンズに戻り、2025年シーズンまで『Titans Radio(タイタンズ・ラジオ)』で試合日のカラーアナリストを担当していた。

タイタンズのコントローリングオーナーであるエイミー・アダムス・ストランクは声明で「マック・コーチを失い、胸が張り裂ける思いです。彼は単なるコーチや解説者ではなく、家族のような存在でした」と述べている。

「コーチ・マックは長年にわたり、この組織に全身全霊を捧げてくれました。その情熱、忠誠心、タイタンズへの愛情が揺らぐことは決してありませんでした。彼は周囲の人々を深く思いやる人で、その優しさと誠実さは、彼を知るすべての人に長く残る影響を与えました。彼は私たち家族の中でも特別な存在であり、私たちの生活やこのフランチャイズにおける彼の存在が忘れられることは決してないでしょう。彼のことを深く惜しみつつ、彼が残してくれた功績に心から感謝しています」

また、ラムズは声明で「ラムズは元アシスタントヘッドコーチのデイブ・マクギニスの逝去に深い悲しみを覚えています。この困難な時期にあたり、彼のご家族とご友人に衷心よりお悔やみを申し上げます」とつづった。

1951年8月7日にカンザス州インデペンデンスで生まれたマクギニスは、1973年に母校のテキサスクリスチャン大学でコーチとしてのキャリアをスタートさせ、ミズーリ大学やインディアナ州立大学、カンザス州立大学などを渡り歩いた。

マクギニスは1986年、マイク・ディトカが率いるベアーズでNFLでの最初の職を得て、デイブ・ワンステットの指揮下でも引き続きチームに在籍。その後、1996年に守備コーディネーターとしてトビン率いるカーディナルスに移った。

一時はマクギニスがベアーズでヘッドコーチとしての最初のチャンスを得るかのように見えていた。

1999年、マクギニスは空席となっていたヘッドコーチ職の面接を受け、好感触を得ていたが、後に自身の就任を発表する記者会見の準備が進んでいるといううわさを通じて自分がヘッドコーチになることを知った。ただし、マクギニスは正式なオファーを受けておらず、就任に同意したわけでもなかった。契約内容やスタッフ編成に関する具体的な条件提示もないまま、事実上ヘッドコーチに指名された形となったことを受け、マクギニスは自らその職を辞退した。

マクギニスはカーディナルスのスタッフとして残留し、やがて自身のキャリアで唯一のヘッドコーチに就任する機会を得た。

その後、マクギニスはタイタンズに移り、ジェフ・フィッシャーのスタッフに加わっている。

マクギニスはラムズのセントルイスからロサンゼルスへの移転期に、再びフィッシャーと仕事をすることになった。そして、フィッシャーにとって最終シーズンとなった2016年をもってマクギニスもラムズを離れた。

タイタンズのチーム公式サイトによると、フィッシャーは「私は彼に“マック、ここには君の居場所がある”と言ったんだ。私たちは本当に親しい友人になった。私の子どもたちは小さい頃から彼をマックおじさんと呼んでいて、最終的にはマック・ダディと呼ぶようになった」と語ったという。

長いキャリアを通じて、マクギニスは数多くの著名な選手を指導した。その中には、ベアーズで指導したウィルバー・マーシャル、オーティス・ウィルソン、殿堂入りしたマイク・シングレタリー、さらにはカーディナルスで指導した殿堂入り選手のアニーアス・ウィリアムズやエミット・スミス、シメオン・ライス、そしてパット・ティルマンといった選手が含まれている。

タイタンズのチーム公式サイトによると、シングレタリーは「彼のことは長年にわたって友人だと思ってきたし、ベアーズに来て、私のコーチになってくれたタイミングも本当に素晴らしかった」と述べ、こう続けたという。

「私には彼のような存在が必要だった。自分がどこへ行きたいのか、何をしたいのかは分かっていたが、自分を導いてくれる人、助けてくれる人、そして今後の道筋に関する視点を与え、その目標に向かってプロとしてどう振る舞うべきかを教えてくれる人が必要だった。私にとって、コーチ・マックはまさに天の恵みのような存在だった」

【RA】